2025年3月24日

八代亜紀は歌の心を知っている

「八代亜紀は、歌の心を知っているね。まあ、あんたたちもそのうち分かるよ」

 子どもの頃、確か9歳か10歳くらいだったと思う。叔母さんがテレビの歌謡番組を見ながら、しみじみとそう語っていたのをなぜか覚えている。子どもながらに、歌の心なんて大げさに分かったようなことを言うなと思った。

 ある日、母親は「この曲好きなのよね」と言って、発売されて間もない山本譲二の『みちのくひとり旅』が入ったレコードを買ってきた。それから一週間くらい毎日のようにこのレコードをかけていたけれど、小学生の僕の心は響かなかった。

 そのうち僕は「またこれかけてるの?」と若干いやそうに言ってしまい、母親はそれからたぶん誰もいない時間に聴くようになった。余計なことを言ってしまったと後悔しながら、大人になったら演歌が分かるようになるのかなあ、と思った。

 僕はロックが好きだった。最初のきっかけは、友達のアニキが持っていたYMO。それからビートルズとかビリー・ジョエルとかの耳障りのいいロックを聴くようになった。中学生になるとFMラジオでアメリカのヒットチャートをチェックするようになり、高校生になると、さらにその幅は広がった。

 あれから何十年も経ち、僕はあの頃の叔母さんや母親よりもだいぶ年上になっているけれど、あいかわらず演歌を自分から聴くことはない。ジャズとかクラシックはまったく聴かないわけではないけれど、聴く音楽の中心は今でもロックだ。音楽として聴くだけでなく、その背景となる文化に、アートやファッション、その生き方までもすっかり影響を受けている。そして、それを若い世代と共有できる機会はほとんどない。

 それでも、「ジョー・ストラマーは、パンクはアティチュードだと言ったんです」なんてことを、若い人の前で言ってしまうこともある。だけど、話を聞く側の気分は、きっと僕が子どもの頃に「八代亜紀は、歌の心を知っている」という言葉を聞いたときと同じなんだろうな。そう思うくらいは、ジェネレーションギャップを自覚している。

 テレビや雑誌が衰退し、ネットで個人的に情報をとることが普通になった今では、音楽の好みは細分化され、みんなが知っているヒット曲なんてものはなくなっている。さらにサブスクの影響で、音楽の聴き方自体も変わってしまって、好きなアルバムを繰り返し聴くこともなくなっているようだ。そして、今やロックは、僕が子どもの頃の演歌と同じように、中高年のおじさんやおばさんが聴く音楽になってしまった。

 そのことを嘆くつもりはまったくなくて、演歌でもロックでも、J-POPやK-POPでもなんでも、他の人が好きなことを楽しむことは尊重していきたい。僕だって演歌をあらためて聴くことはないけれど、どこかで八代亜紀の『舟唄』が流れてきて、思いがけず感動することもある。テレビのCMで流れる最近の曲に、この曲いいなと思うこともある。それに京都の元店長Mさんは、20代なのに70年代フォークソング好きだし、バンド活動をしながら働くNちゃんは、20代なのに60年代から今に至るまでのロックを幅広く聴いていて、会うとつい音楽談義をしてしまう。だから、世代は関係ないのかもしれないし、できることなら、好きなものにこだわりながら、それ以外のものにも心をオープンにしていきたい。

 そんなことを言いながらも、やっぱりロックが好きで、ここ最近繰り返し聴いているのが、キンクスの『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』というアルバム。キンクスは、1960年代、ビートルズやローリングストーンズなどと同時期にデビューしたイギリスのバンドで、リーダーのレイ・ディビスによるイギリス特有のシニカルなひねくれもの的な視点が特徴のバンドだ(ここからまた、「八代亜紀は歌の心を知っている」的なことを綴ってしまいます)。

 アルバム『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』の1曲目は、そのタイトル曲からはじまる。「ヴィレッジ・グリーン」は、イギリスの村落にある伝統的な共有緑地のこと。この長いタイトルを日本語に訳すと、村の緑地保存協会みたいな意味になる。アルバム全体のコンセプトを象徴する、ドラマのテーマソングのようなこの曲が、僕は好きだ。

We are the Village Green Preservation Society
God save Donald Duck, Vaudeville and Variety
We are the Desperate Dan Appreciation Society
God save strawberry jam and all the different varieties

僕らは、村の緑地保存協会
神様、ドナルド・ダックと古き良き演芸をお守りください
僕らは、『デスパレート・ダン(スコットランドの古い漫画)』鑑賞会
神様、いちごジャムとすべての村の果実をお守りください

 こんな感じで、緑地と共に、古き良き思い出を守ろうというメッセージが続く。さらに「樽生ビール保存協会」に「カスタード・パイ愛好会」、「シャーロック・ホームズの英語を話す会」と、架空の同好会のような団体名を列挙しながら、イギリスのノスタルジックな情景への愛着を歌う。そして曲は次のように続く。

We are the Office Block Persecution Affinity
God save little shops, china cups and virginity
We are the Skyscraper condemnation Affiliate
God save tudor houses, antique tables and billiards

僕らは、反オフィス街同盟
神様、小さなお店と陶器カップ、純潔なものをお守りください
僕らは、高層ビル反対協会
神よ、古い英国式の家とアンティークテーブル、ビリヤードをお守りください

 かけがえのない思い出と一体となっているイギリスの古き良き情景が、都市開発などで失われつつある事実に向き合い、それに反発する。そんな力強いメッセージを感じる。

 このアルバムがリリースされたのは、1968年。ロックがサイケデリックやハードロックに進化していくなかで、あえてアコースティックなスタイルで、古き良きイギリスの情景を歌うのも、ひねくれもののキンクスらしい。

 トラベラーズノート LOVE AND TRIPは、来月の発売に向けて、流山工場で最終的な仕上げを行っています。このノートには、自分が好きなことを綴ってほしい。そして、同好の士を繋げたり、他の人が好きなことを尊重するきっかけになってほしいと願っています。

the Village Green Preservation Society>>