Loser
僕のパソコンには、トラベラーズ関連のステッカーに並んで、「Sorry, I'm a LOSER」と記されたステッカーが貼られている。このステッカーは、ニルヴァーナやマッドハニーなどのグランジバンドを輩出したレコードレーベルによるもので、昨年11月に訪れたアメリカのシアトルで手に入れた。「ごめん、おれは負け犬だ」という自虐的というか、卑屈とも言えるメッセージを見て、なんだかシンパシーを感じてしまい、見つけるとすぐにレジに持って行った。
小学生の頃は、球技が苦手で体育の授業のたびに負け犬気分を味わった。代わりに運動会でクラス代表のリレー選手に選ばれるくらいは足は速かったので、中学生になると陸上部に入った。だけど、学校中の足の速い奴が集まる陸上部では、僕の足は特別速くないことに気づく。半年もすると、部内は記録を伸ばそうとまじめに練習する部員と、惰性でダラダラと部活を続ける連中と、なんとなく2つのグループに分かれ、僕は当然のように後者に属した。
それでも一年は続けてみたけれど、まじめ部員たちの冷たい目線が気になるし、実力差はどんどん開いていく。結局、ダラダラ派の僕は、ちょっとした負け犬気分を味わいながら、二年生の途中で陸上部を去った。同時に、その頃から深く聴くようになったロックが、勝ち負けなんて関係ない世界があることを教えてくれたおかげで、僕は負け気味の思春期をなんとかやり過ごした。
大学に入ると音楽系サークルに入った。実は、掛け持ちでテニスサークルにも数日だけ所属したことがある。当時はバブル時代。だけど、その時代の華やかな世界に縁がなかった僕は「やっぱ大学生っぽいこともしてみない?」と同じ音楽系サークルの友人に誘われてテニスサークルの門をたたいた。すると、ちょうと週末に合宿があるとのこと。
合宿に参加すると、先輩は女の子の相手ばかりで僕らのことは放置。しょうがないから友人とぎこちない手つきで球を打ち合いをしてはみたけれど、まったく形にならない。僕も友人もテニス初心者だったし、そもそも僕は球技が昔から苦手だった。さらに、練習後の飲み会のノリにはまったくついていけない。結局、なにひとつ楽しめず、ほのかに抱いていたバブル大学生への甘い幻想は脆くも崩れ去った。
翌日に合宿を終えると、僕らはそのままサークルを辞めた。「あんな奴らとは付き合えないな」と強がりを言いながらも、そこにまったく対応できなかったことに軽く敗北感を味わった。そして、ますます音楽に没頭していった。
会社に入ると同時にバブルは終焉を迎えた。売上が厳しい中で、それなりにできるだろうと甘く考えていた仕事で何度も失敗を重ねて、お客さんに嫌味を言われ、上司に説教を浴びる日々だった。ちょうどその頃、BECKの『ルーザー』というヒ曲がヒットしていた。この曲が好きだった僕は、営業車を運転しながら「I’m a loser, baby, so why don’t you kill me? / 俺は負け犬。俺なんて殺しちゃえよ」と、サビを声を出して自嘲ぎみに歌っていた。
そんな経験を重ねてきたせいかはよく分からないけれど、僕は華やかな表通りより朽ちた路地裏、高級レストランよりも大衆食堂、五つ星のラグジュアリーホテルよりもサウナ付きカプセルホテルや寂れた温泉宿に愛着を抱く。それに漫画に映画などの登場人物では、どちらかと言えば敗者にシンパシーを感じることが多い。
のび太は負け犬気質な上に、ドラえもんの道具というこの上ない武器を手にしても、一発逆転はかなわず最終的には敗者として苦汁をなめることになる。不良少年のサクセスストーリーとして読むことのできる『あしたのジョー』の主人公、矢吹丈も一番の山場である力石徹との試合には負けてしまうし、さらにラストでも世界チャンピオンのホセ・メンドーサとの試合に負けて終わる。でも、そこに感動するんだよね。
『男はつらいよ』の寅さんは、いろんなことがうまくいかない上に、必ず失恋してしまうし、『北の国から』の五郎も純も人生の悲哀が全身から滲み出る敗者感が満載だ。『イージー・ライダー』のキャプテン・アメリカとビリーも、『暴力脱獄』のクールハンド・ルークも、『俺たちに明日はない』のボニーとクライドも、みんな最後には殺されて終わる。
そういえば、映画『ロッキー』のラストシーンは、もともとシルベスター・スタローン演じるロッキーが試合を途中で投げ出してひっそり会場を去るシーンで終わるように撮られていたそうだ。それを公開直前にロッキーが判定で負けるのだけど、最後まで勇敢に戦い、喝采を浴びて終わるように撮りなおして、大ヒットにつながったとのこと。確かに喝采を浴びてカタルシスを感じるラストも素晴らしいけれど、負け犬のように会場を去って終わるラストも味わい深そうで観てみたかった。
一部の人を除いてたいていの人は、幼い頃から勝者として祝福されることよりも、敗者として涙をのんだ経験の方が多いはずだし、世の中思い通りにいかないことばかりだ。どこかの誰かが決めた価値観に基づいて、「勝ち」とか「負け」とかジャッジするのは意味がないと思うし、そもそも好きじゃない。人生の勝ち組と呼ばれるような人になるよりも、勝ちとか負けとは縁遠い世界で自由に生きていたい。
僕が好きなロックも、負け犬に優しい。孤独も失望も絶望もやりきれない衝動も、うまくいかないやるせなさもすべて受け入れてくれて、勝ち負けなんて関係ないよ、と言ってくれる。俺を負け犬と呼ぶ世界なんて、笑い飛ばせばいいさ。ザッツ・オール・ライト! ベイビー、アイム・ボーン・トウ・ルーズ!
トラベラーズノートだってそうだ。他と比べてランク付けして勝ち負けにこだわるよりも、そんなことは関係ないよと言える世界で生きていくための道具でありたい。使い方のルールがなくて、書いたものをジャッジしない、自由に自分の好きなことを好きなように書くためのノート。誰かが決めたルールに基づく勝ちとか負けに縛られない、負け犬にも優しいノートでありたい。