チャーリーとの旅
自分の居場所が見つけられず、いつも心が満たされない日々を過ごしていたからか、子どもの頃からここではないどこかへ旅をしたいという欲求が常にあった。テレビのアニメは「ガンバの冒険」「銀河鉄道999」「母を訪ねて三千里」などが好きだった。どれも暗いトーンに包まれ、旅の明るい面だけを描いた作品ではなかったけれど、それでも旅と冒険の高揚感に引き込まれた。子どもの頃の一番の夢は、旅人になることだった。
旅ができるようになると、青春18切符を手に入れて、北海道まで行った。鈍行列車では、東京から北海道まで1日では行けないから、途中の駅のベンチで夜を明かして、青森からは青函連絡船で函館に行った。
夜明けの誰もいない駅で目を覚まして、まだひんやりする澄んだ空気の中で飲んだ缶コーヒーは、とんでもなくおいしかった。青森から乗った青函連絡船は、僕にとっての初めての船だった。汽笛の音が聞こえると、夏だったけれど頭の中には石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が聴こえ、心は昂っていった。船が函館に着くと、今度は「はるばる来たぜ、函館〜」と北島三郎の「函館の女」を歌った。演歌が好きだったわけではないけれど、演歌には旅情をそそる歌が多い。タラップを降りて、初めて北海道の地に足を下ろすと、それだけで興奮した。
最初の海外への旅は、インドだった。初めての空港に胸をときめかせ、飛行機が離陸すると、夢のような気分になった。インドに着き町を歩くと、あまりにも日本の日常とは違う光景に興奮して、それ以来、取り憑かれたように長期の休みになるとアジアを旅した。旅への渇望は、旅を繰り返すことでおさまるのかと思っていたけれど、むしろ逆だった。旅を経験するほどに、その想いは強まっていった。
57歳になった今だってそうだ。今年は20周年イベントで、まずはソウルと京都を旅したけれど、いまだに飛行機が飛び立つ瞬間は胸が高鳴るし、新幹線に乗るときだってワクワクする。
先週、公式サイトにシカゴとニューヨークのキャラバンイベントの情報をアップした。ちょうど同じ頃、アメリカ入国のためにESTAの手続きをした。後輩スタッフに手取り足取り教えてもらっているくせに、「めんどうくさいなあ」なんて、ぶつぶつ言いながら申請を終えた。だけど、そんな面倒な手続きすらも、旅が始まる予感に心が躍る。仕事であれば、当然やるべきこともたくさんあるし、心配事に苦労も多い。だけど、それ以上に旅をする高揚感が大きい。その気持ちは、子どもの頃から全く変わらず衰えることがない。
なんであらためてこんなことを書いてみたかというと、一冊の本を読んで、旅気分が一気に盛り上がったから。
今月始め、イベントのために京都に行ったとき、恵文社一条寺店に立ち寄った。そこで、ジョン・スタインベックの「チャーリーとの旅」という本を見つけた。この本は、著者が飼い犬チャーリーを連れて、キャンピングカーでアメリカを一周する旅行記で、以前別の翻訳で読んだことがある。その後、ずっと絶版になっていたのが、文庫本になって新訳で出版されていたのだ。訳している青山南氏は好きな翻訳家だし、細かい内容はすっかり忘れている。久しぶりに読んでみようと思って購入した。
で、冒頭の文を読んですっかり盛り上がったのだけど、そういえば以前読んだときも同じように盛り上がったのを思い出した。ブログで検索してみると2008年6月にイラストとともにこの本のことを紹介していた。2008年だから、今から18年前だ。
「とても若くて、どこかに行きたいというジリジリした想いにつかまえられていた頃、おとなたちから、おとなになればそんなうずきはおさまるもんだ、と説得された。おとなと言われる年齢になると、その処方箋は、中年になればおさまるヨ、になった。中年になってみると、老年になればおまえの熱病もさすがにおさまるだろうサ、とまたまた説得されたが、いよいよ五十八歳になったいま、はて、老齢はしっかり仕事をしてくれているか? ダメだ、効き目なし」
歳をとってもおさまることのない旅への希求を自らの体験を踏まえて、軽快に綴ったこの文章を読んで、僕はちょっとした違和感を覚えた。57歳の僕は、58歳の著者と年齢はほとんど変わらない。なので、この歳になっても旅への欲求がおさまらないということには、まったくもって共感できる。ただ、58歳は老年なんだという事実に、軽くショックを受けた。
この本が出版された1962年と今では年齢の捉え方も違っていただろう。さらに著者スタインベックは、その旅からわずか8年後の66歳で亡くなっている。同じ時代に描かれていたサザエさんの波平は54歳で年下だし、見方を変えたら、僕も老年とも言える年齢なのだ。18年前の39歳の僕は、このことにまったく違和感を持つことはなかった。18年後の57歳のときのことなんて、想像もしていなかったはずだ。今の僕だって、18年後の75歳の自分なんて想像できない。まだ生きてるのかな、とぼんやり思い浮かべるくらいだ。
そこでハッと気づいたんだけど、旅への希求が子どもの頃から歳をとっても変わらないのは、要は人は歳をとったところで本質的なところは変わらないということなのかもしれない。青函連絡船はもうないけれど、もし今、乗船ることができたら、きっと「津軽海峡冬景色」と「函館の女」を頭の中でリフレインしているはずだ。歳をとったところで、人はたいして成長しないとも言える。ただ、体力だけは確実に衰えていく。さすがに、今では駅のベンチで夜を明かすのは辛い。