夏が来た
先週から、いきなり暑くなった。ニュースでは、熱射病に気をつけましょうと連呼する。外に出ると、熱気を伴った太陽の光が頭にあたるから、確かに気をつけないといけないと思う。だけど、それより戦争の波がさらに高くなっていることの方が僕は気になる。今日もどこかで爆弾が落っこちているみたいだ。
朝、うだるような暑さの中で、自転車のペダルを踏む。すると10分もしないうちに、朝がだらだらと流れてくる。信号待ちで、自転車のボトルゲージに入れたペットボトルを手に取って水をゴクゴク飲んで水分補給。青になると、再び走り出す。
会社に着く頃には、Tシャツは汗でびっしょりに濡れているから、トイレで着替える。最近導入されたウォーターサーバーから、コップに冷たい水を入れて、ふたたびゴクゴクを飲む。これから仕事が始まるというのに、風呂上がりのようなけだるい倦怠感に包まれるのだけど、それが心地よい。
「まだ梅雨になったばっかりだというのに、真夏の暑さだね」
「今年の夏はどうなっちゃうのかな」
ここ数年、暴力的に厳しさを増していく夏の暑さに、夏がやってくることをどこかネガティブに話すことが普通になっているけど、実は僕は夏が嫌いじゃない。というか、むしろ夏がやってくることにワクワクしている。
夏の厳しい暑さは、かつての旅の記憶を思い起こさせてくれる。子どもの頃に夏休みになると毎年行った田舎での日々、東南アジアやインドの突き刺すような日差し。カリフォルニアのカラッとした空気。北海道の牧場の匂い。炎天下の下で自転車を漕いで、ただ無心に次の目的地まで向かう旅の日々。
冬の旅だってそれなりに経験があるけれど、冬が近づき寒くなってきて、旅の記憶が蘇ってくることは少ないような気がする。それよりも、旅の記憶は夏の記憶に紐づいている。初夏になり、最初に茹だるような日差しを感じると、ふわっと頭の中に、夏の旅の記憶が蘇り、それが心にちょっとした高揚感をもたらしてくれる。
確かにここ数年の東京の夏は、体調に影響するほど厳しくなっているし、実際にこまめに水を飲んだり、休んだりしないとヤバいと感じることも多い。それでも、今のところ特に予定はないんだけど、2025年の夏も楽しみたい、と思う。
ここ数日は、夜になってもムワッとした熱気を感じるけど、それでも帰りの自転車は、朝よりはずいぶん楽ではある。日比谷公園の脇を通ると、新緑の香りとともに、少し冷たい風を感じる。東京駅をすぎてしばらく走ったところにある、夜遅くまでやっているカフェで一休み。アイスコーヒーを飲みながら、ここのところ取り組んでいる長い物語の続きを書く。夏が終わる頃には書き上げられたらいいな。
再び、自転車に乗って家に向かう。BGMは、ここのところ何度も聞いているビーチボーイズの『ペットサウンズ』。
「I keep looking for a place to fit in
where I can speak my mind
I've been trying hard to find the people
that I won't leave behind
僕は自分にぴったりの場所を探している
僕の本音を言える場所を
僕は本気で探しているんだ
僕を見捨てて置いてけぼりにしない仲間を」
終盤の「駄目な僕」は、ブライアン・ウィルソンがまさに天才であるがゆえの孤独を歌っているけれど、天才ではない僕や多くの人にも共感をすることができる。上の歌詞なんて、まさに旅をする理由みたいだし。
「Sometimes I feel very sad
(Can’t find nothin' I can put my heart and soul into)
I guess I just wasn't made for these times
僕はときどきとても悲しくなるんだ
(心から打ち込めるものが見つからない)
僕はこの時代には向いていなかったのかもしれないな」
歌詞は上の言葉をリフレインして終わるんだけど、結局理想郷は見つからないから、旅に終わりがないのかもしれないんだね。そんなことを考えながら、夜の東京を自転車で走った。
そういえば、夏は高揚感とともに孤独感を思い出させてくれるんだけど、その感覚も僕は嫌いじゃない。