2013年1月22日

コーヒーの記憶

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今月は、Coffee Table Tripがテーマということでコーヒーの話が続きます。
 
ふと、今まで味わってきたコーヒーのなかで一番美味しいコーヒーっていつ飲んだ時のものだろうか?そんなことを考えてみました。そこで気付いたのですが、感動や悲しみなどの感情を伴った記憶は、かなり昔のことも思い出すことができるのですが、味覚はさっぱり蘇ってきません。数日前に食べたものなら、味のイメージが口の中に浮かんできます。でも、それ以前のことは美味しかったとか甘かったなどの情報としては覚えていても味覚は浮かんできません。ソムリエや料理人はそうではないはずなので、これは個人的な能力の問題のような気がします。
 
なので、かなりいい加減な記憶のなかで、美味しかったコーヒーの思い出を辿ってみます。社会人になったばかりの20代前半のある日、営業職だったぼくは、50代の上司とともに、盛岡の喫茶店でモーニングを食べていました。そこは上司行きつけの喫茶店で、その近くの得意先を訪問する際は、そこでモーニングを食べるのがお決まりのコースとなっていました。
 
突き刺すような冷気を感じる盛岡の冬の朝、得意先の駐車場に車を止めると、上司は戯けた調子で「よし、きっちゃてん行くぞ」と言って、ポケットに手を入れて背中を丸めながら足早に喫茶店へと向かいます。程よく焦げ目の付いた厚切りのトースト、ふわっとしたスクランブルエッグにベーコン、自家製の少し酸っぱいドレッシングがかかったサラダにオレンジジュース、そして、1杯ずつサイフォンでいれたコーヒー。その喫茶店では、正統で上質なモーニングをいただくことができました。
 
「な、ここのコーヒーはうまいだろ?マスターおかわりね。お前も飲むか?」と、上司は常連の特権なのか、いつもコーヒーのおかわりをサービスしてもらい、一緒にいるぼくもその恩恵にあずかっていました。ずらりと並んだサイフォンの中でお湯がぶくぶく沸騰する。そして、ぱりっとアイロンがかかった白いYシャツにベストを着ている無口のマスターが、手際良くコーヒーをカップにいれる。すると、良い香りが目の前に広がったのを思い出します。
 
ドトールもスタバもなかった時代、コーヒーはまだ大人の飲み物でした。そして、しみじみとコーヒーを味わいながら同時に、大人になったような気分を味わっていました。美味しかったコーヒーの記憶のひとつです。