TRAVELER'S DRIVE-IN
朝から200キロ以上営業車を走らせ、10軒もの店をまわったのに、注文書に書かれた金額は目標を大きく下回っていた。最後に訪問した、困った時の奥の手としてキープしてあった未開拓の店も空振りで、車の走行距離と労働時間が虚しく増えてしまっただけだった。そんな憂鬱の中で、道路灯もない真っ暗な道をまだ遠い家路に向かい走っていた。時計を見ると、20時を過ぎたところ。どこかでお腹を満たしたいと思ったけど、この寂れた夜の道で、そんな場所を見つけることができるのだろうか。結局、空腹のまま、小さな峠をいくつか越えた。記憶では、そろそろ走り慣れた国道に出るはずなのに、そんな気配はない。どこかで道を間違えてしまったのだろうか。
今日はなにをやってもうまくいかないな。暗くて先の見えない峠道を走りながら、ぼんやりとした不安が襲ってくるのを感じた。信号もない十字路で一度車を止めてみた。空を見上げると、今まで見たこともないような美しい星空が広がっていた。タバコに火をつけて、気分を切り替えようと思った。そういえば明日は休日だということに気づいた。
すると十字路の角に小さな案内板を見つけた。腰まで生い茂る夏草で隠れてしまって、車を止めなければ確実に気づかないくらい、遠慮がちな佇まいで、それはあった。ところどころにサビが目立ち、ペンキもはがれていたけれど、トラベラーズドライブインという文字が辛うじて読み取れる。時計を見ると、22時になろうとしていた。まだ開いているのか、そもそもほんとうにあるのか、あまり期待せず車に乗ると、十字路を曲がった。
しばらく走ると、ぼんやりと光る地球を描いた丸い看板が見つかった。さらに、壁には大きく、トラベラーズドライブインと、さっきの案内板と同じ名前が、ペンキで描かれていた。真っ暗で他には何もない場所で静かに光を灯して佇む建物は、まるでエドワード・ホッパーの絵のようで、孤独感と同時に温かさを感じさせてくれた。5、6台停められる駐車場には、真っ赤なドゥカティのオートバイと、車が2台停まっていた。僕はドゥカティの隣に車を停めると、黒ずんだ真鍮の引き戸を引いて中に入った。
ドライブインという名前から、焼肉スタミナ定食やカツ丼などが食べられるプロのドライバー向けの食堂を想像していたけれど、良い意味でそれは裏切られた。
カウンターには、マリネや肉団子、ソーセージにテリーヌなどが盛り付けられた大皿が並んでいる。どれも見ただけで、厳選された上質の素材を使って手間をかけて丁寧に作られたのが分かる。厨房の奥には石窯があり、ナンを少し小さめにしたようなパンを焼いていた。パンが焼ける香ばしい匂いとともに、アイルランド民謡やキューバ音楽に、カントリーミュージックなどが不思議な統一感でセレクトされ流されているBGMが、その食べ物の無国籍な魅力を引き立てていた。どんな料理かわからないまま、僕は店の勧めに従い、パンとあわせて、大皿の中からいくつかのオカズを頼んだ。
「パンにのせて食べてくださいね」
その言葉通り、カスタマイズするようにオカズを組み合わせてパンにのせて食べてみた。「美味しいなあ」思わず言葉に出してしまった。はじめて食べるのに、懐かしさを感じるのは、いつか食べてみたいとずっと心の中で妄想していた料理なのかもしれない。
「美味しいですよね。私はチーズとハチミツをかけて食べるのが好き」
一つ空いた席で、もうすでに食べ終わり、コーヒーを飲んでいた女性が、僕の独り言に気づき話かけてきた。「ここにはよく来るんですか?」僕は思いがけず素敵な場所に出会えたことを喜び、このお店のことをもっと知りたいと思った。
「3回目。ほんとうはもっと来ようとしたことがあったけど、探しても辿り着けなかったことの方が多いの。わたし方向音痴だし」
「確かにここはわかりづらいですよね。僕だって道に迷って車を走らせていたら偶然見つけたんです」
「ここは道に迷わないと辿り着けない場所なの。群れからはぐれた迷い鳥が羽を休めて、また旅立つ場所」
そんな意味深なことを言うと、彼女はテーブルに置いてあった革のノートを閉じて手に取り、オートバイとお揃いの赤いヘルメットを抱えて、「もしコーヒーが好きなら、ここのブレンドは美味しいから飲んだ方がいいですよ」と言いながら立ち上がった。
彼女がさっきまでコーヒーを飲みながらノートに描いていたスケッチのことや、オートバイのこと、そして、意味深な言葉の真意など、もうちょっと話を続けたかった僕は、残念な気持ちで「気をつけて」と言うと、彼女は「あなたも、良い旅を」と言ってドアを開けてで出て行った。しばらくすると、ドゥカティ特有の太めの気品あるエキゾーストノートが聴こえた。
僕はトラベラーズブレンドと名付けられている中深煎の美味しいコーヒーを飲みながら、ノートに上司への言い訳のような営業報告を書いていた。店内のBGMがボブ・ディランの『くよくよするなよ』に変わると、ふと、そんなことはどうでもよくなって、数年前からノートに書き連ねていた小説のようなものの続きを久しぶりに書いてみようと思った。
Don't think twice, it's all right,
くよくよ考えるなよ。きっとまだ大丈夫だ。
時計を見ると、もうすぐ今日が終わろうとしていた。でも、まだ僕の旅は終わっていないし、もしかしたら、始まってすらいないのかもしれない。「あなたも、良い旅を」という彼女の言葉が頭の中でリフレインした。
別にトラベラーズドライブインができる予定がある訳でも、実体験に基づいている訳でもなく、最近再読した片岡義男氏の小説に影響されて、それ風の物語を書いてみました。今週は、ミスター・ソフティーのイベントで香港へ行って来ます。きっと暑いはずだからアイスクリームを食べてがんばります!