ノートに魂が宿る
毎年、この時期はダイアリーの入稿が終わったのちに、トラベラーズタイムズの制作がはじまり、いつもバタバタしている。
来年2026年は、トラベラーズノートが20周年を迎える節目の年でもある。そんなこともあって、ダイアリーのテーマは、トラベラーズノートの本質的な考えみたいなものを反映させたいと思って決めた。
日本には「物に魂が宿る」という言葉があるけれど、トラベラーズノートには、使い手に何かを訴えかけるような不思議な存在感があるし、使っていくうちにその人の思いやキャラクターが反映されていく。それゆえにトラベラーズノートには、人と同じように性格みたいなものがあって、まさに魂が宿ってくるような物だと思っている。
僕自身ももう20年もの間、トラベラーズノートを使い続けているから、当然そのことを実感している。トラベラーズノートの何かを訴えかけるような不思議な存在感に突き動かされて、その世界を作る仕事をライフワークのように続けてきたし、そこには、僕らの思いやキャラクターは反映されているはずだ。だけど、それが僕ら自身そのものであるか、と言うとそうとも言い切れない。
たとえば、僕は旅が好きで、音楽が好きで、紙や書くことも好き。高級レストランよりも家族経営でやっているような町の食堂やローカルなB級グルメに愛着を感じるし、デジタルよりも紙の本やレコードに触れていたいと思っている。でも、そのことを本気で突き詰めているかと言われると、自信を持ってそうとは言い切れない。
旅が好きだけど、旅に出ないで無為に過ごす日々もいっぱいあるし、これまで何カ国旅をしたことがありますか? なんて聞かれても、誇れるほどの数を言うことができない。手描きは好きだけど、長い文章を書くときはパソコンを使っているし、音楽だってレコードよりもスマホのサブスクで聴く方が圧倒的に多い。安い食堂は好きだけど、高級レストランに招待されたら、尻尾を振ってついていく(そんな機会はほとんどないけれど)。今はまだ紙の本しか読まないけれど、kindleにもちょっとした興味があるし、もしも買ったら一気にそっちに流れてしまうんだろうな、と自覚している。
安直で楽な方に流れてしまう自分と、そのことに抗おうとする自分とが、常に対立しながら今を生きている。トラベラーズノートを持っていると、安直な方に向かいそうになる自分に疑問符を与えて、そのことで失う何かに危機感を抱かせてくれるのだ。だから、トラベラーズノートに反映されているかもしれない僕らのキャラクターは、自分たち自身そのものではなく、むしろこうありたい自分たちの理想なのかもしれない、なんてことを思ったりする。
行く前は面倒だと思っても、実際に旅に出てから、行かなければよかったと後悔したことは今まで一度もない(旅先でこっちじゃなくて、あっちのレストランにすればよかったな、というくらいの小さな後悔はあるけれど)。むしろ、旅に出たことで得られた出会いが今の自分とトラベラーズノートの世界を作っている。
このブログにアップしている毎週描いているイラストのリフィルは、今はもう20冊近くになっていて、それをパラパラめくっていると、やっぱりトラベラーズノートに描き続けてよかったなと思う。紙の本やレコードの音の味わいは大好きだし、それらがこの世界からなくなってしまうのは、あまりにもったいない。
そんなことを思うと、もしも僕自身が20年前にトラベラーズノートに出会っていなかったら、どんな風になっていたのだろうかと想像してしまう。トラベラーズノートが存在しないパラレルワールドでは、当然、トラベラーズノートの世界を作る仕事もしていない。その代わりに僕は何をしているのだろう。今のようにライフワークと言えるような仕事が見つけられているだろうか。
僕がトラベラーズノートを生み出すことができたのは、偶然の産物だと思っている。僕以外の才能を持つ仲間との出会いがあってできたことだと思っている。だから、トラベラーズノートがない世界でも、僕はそれなりに仕事をがんばっているかもしれないけれど、今のような熱量を持ってできているのかは疑わしい。もしかしたら、今と同じくらい旅や音楽、本や映画などに向き合っていないかもしれないし、毎週絵を描くなんてことはしていないと思う。
現代は、進化のスピードが早く、膨大な情報が溢れるように垂れ流されている。
うっかりすると人は分かりやすくて、楽な方にどんどん流されてしまう。そのことで、時間と手間をかけて深く追求することで得られる本質的な意味や喜びが失われてはならないはずだ。ピードがゆっくりで、効率性など考えられていないトラベラーズノートは、そのことの大切さを教えてくれる存在であることに気づいた。
トラベラーズノートは、使う人の思いやキャラクターが反映されるものであるから、書かれていることはもちろん、見え方も雰囲気もみんな違う。だけど、どれもが自分のこうありたいと思う理想を具現化したものであるといいなと思う。
「みんなちがって、みんないい」は、昭和初期に活躍した童謡詩人、金子みすゞによる「私と小鳥と鈴と」の一節。トラベラーズノートもまさにそうで、みんなの理想、素晴らしいものがそこに込められていて、それがそれぞれ違うからいい。