1番目と2番目に高い山
長い夏休みが終わり、今日からお仕事という方も多いと思います。僕も休みだったのですが、先週のブログで書いた通り、旅には出ずに無目的にだらだらと過ごしていました。そんな中で千葉ではこれまで経験がない大雨で多大な被害。成田空港のトラベラーズファクトリーエアポートでは、閉店後に帰宅できずに空港内で夜を明かしたスタッフもいました。先月の熊本の地震といい、頻繁に起こる天災に、被害に遭われた方が早期に安心して暮らせる日々が来るのを祈るのみです。
さて、特別書くことが思いつかないので、昔の記憶を掘り返してみることにします。夏と言えば山ということで、山の思い出を書いてみたいと思います。
自慢ではないけれど、僕は日本で最も高い山と2番目に高い山の山頂に立ったことがある。日本一高い山は、ご存知の通り富士山だけど、2番目は北岳という南アルプスの山で、あまり知られていないかもしれない。
これまで誰にも言ったことがないのだけど、高校に入ると僕は1ヶ月だけワンゲル部に所属していた。山が好きというよりも、アウトドアとかキャンプに憧れていたのがその理由だった。だけど、放課後になると毎日、荷物を入れたリュックを背負って走るのに耐えきれずに、すぐに退部してしまった。
その年の夏休みに、せっかく買ったキャンプ道具を使おうと思い、同じようにワンゲル部を辞めた友人を誘って、どこかの山に登ることにした。山の知識は全くなかった僕の代わりに、彼が提案したのが北岳だった(僕は北岳のことを何も知らなかった)。
そこで、電車代の学割を申請するために、高校の先生に北岳に行くことを伝えると、「お前ら二人で北岳に行くのか。3000メートル級の山を舐めんなよ」と、かなり厳しい口調で、僕らの計画に口を挟んできた。僕はそこで初めてそんな大変なのかと思ったくらい、何も考えてもいなかった。「テントも持っていくし、ルートを調べたので大丈夫です」と、友人が調子よく先生を言いくるめて、許可をもらった。
そこから先のことは、ほとんど覚えていない。なんとか山頂近くのキャンプ地に着いたときは、小雨が降っていて、震えながらカップラーメンを食べたのをかすかに覚えているけれど、山頂に立ったときのことも記憶がない。ただとにかく辛かったことだけは覚えていて、それ以降、山登りをしようという気にもならなかった。
富士山の方は、学生時代に山頂の山小屋でアルバイトをするために行った。夏が始まる直前、付き合っていた女の子から別れを告げられ、ぽっかり空いてしまった夏の予定と心の隙間を埋めるために、何か変わったことをしたくなった。そこで、アルバイト情報誌で見つけたのが、富士山にある山小屋手伝いの仕事だった。
北岳以来、登山経験がないから、そこがどのような場所か分からず、なんとなくペンションのような場所を想像していた。応募の電話で冬用の上着を持ってくるようにと言われたときも、山の上だから朝晩は涼しいのかな、くらいにしか思わなかった。
バイトの初日は、まずは低地にある山小屋のオーナーの家に泊まった。そのときに夕食に振る舞われたのが鰻重だったのは、今思うとその後の過酷な環境ゆえのオーナーの配慮だったのかもしれない。翌日、朝早くオーナー家を出発。そして、オーナーが運転する車で五号目まで行く。そこからは食料品を満載したブルドーザーに乗り換えて、山頂に向かった。急斜面の山道を登り、たどり着いたのは緑がまったくない岩だらけの荒涼とした風景で、そこに建つ石に覆われた小さな建物がこれから働くことになる山小屋だった。
下界は真夏の暑さなのに山頂は冬のように寒く、まずその気温の違いに驚いた。すでに働いていた人たちは強い日差しで、真っ黒に日焼けし、乾燥した空気で唇が割れて黒ずんでいる。とんでもないところに来てしまったのかもしれないと思った。着いた夜に、さっそく高山病による頭痛や吐き気に襲われた。5、6人のアルバイトが雑魚寝する広間で、一人だけ眠れずに高山病に苦しみながら、「どうしてこんなところに来てしまったのだろう?」と、後悔の念を抱いた。
山小屋では、朝四時、まだ真っ暗な時間にサイレンの音とともに起こされる。寝ぼけまなこでバタバタとお客さんを迎える準備をして、山小屋の扉を開けると、すぐに暖を求める登山客で中はいっぱいになる。怒濤のような忙しさの中、食べ物や飲み物を運んだり、食器を洗ったりする。そして、日の出のご来光を迎えると、アルバイト全員で大きな声を出して万歳三唱をしなければならなかった。
そんな生活も何日か過ぎると慣れてくる。実は、忙しい時間はそれほど長くない。早朝の喧騒が過ぎると、昼間は小屋の外に簡素なテーブルを出して、観光地にありがちな登山記念のバッジや杖などのお土産を並べて売るのが主な仕事で、これはのんびりと楽しくできた。アルバイトが持ち回りで、杖に焼印を押したり、瓶の牛乳を湯煎して温めて売ったりする。牛乳は確か当時300円で「高いねえ」と言うお客さんに、「はい、日本一高い場所なんで」と返すのがお決まりだった。
次々と訪れる登山客は、頂上に着いた安堵感でみんな笑顔。ほっとしながら温かい牛乳を飲んだり、富士山を制覇した証になるようなものを探したりするお客さんと話をするのも楽しかった。場所が場所だけに、接客の緊張感もまったくなく、お客さんと気さくに話すことができた。それに山頂から毎朝眺めたご来光は、神々しいほどに美しく、上界から世界を眺めていると、小さな悩みなんてどうでもいいことのように思えた。
一緒に働く仲間もちょっと変わった人が多かった。タイからシンガポールまで自転車で縦断した学生に、小津安二郎や黒澤明の映画談義をずっとしている大学院生、普段は絵描きをしていて夏の間だけここで働いているなんて人もいて、仕事が終わって、夕飯を食べながらみんなと話すのも楽しかった。天気が変わりやすい山頂では、たまに嵐のような日がある。そんな日は登山客が登って来られないので、一日中、山小屋の中でみんなでのんびり話をして過ごした。
山小屋では、昼間はラジカセに繋がれた店のスピーカーから音楽を流していた。もともと流れていたのはサザンやユーミンなど、その時代のヒットソングだった。二日目に、僕が持っていたカセットテープに差し替えても誰からも何も言われなかったので、それ以来、ずっと自分の好きな曲を流し続けた。好きな音楽を聴きながら、まるでお祭りの屋台のように土産物を売るのは、とても楽しい時間だった。あのときのテープの一曲目が、ザ・バンドの「怒りの涙」だったこともあって、今でもこの曲を聴くと、富士山山頂の荒涼とした風景が頭に浮かんでくる。
アルバイト期間を終えると、ブルドーザーに乗って降りることもできたのだけど、自分の足で降りることにした。富士山の山頂で二週間過ごし、苦労して登ってくる人たちと会ううちに、自分の足で登っていないことに引け目を感じていた。せめて下りだけでも歩いて行こうと思ったのだ。麓の温浴施設で、二週間ぶりに入ったお風呂はほんとうに気持ちよかったなあ。
そんなわけで、僕は日本で一番高い山と二番目に高い山の山頂に立ったことがある。ただ、それ以外には高尾山くらいしか山登りの経験はない。それでも、あのときの経験で、どこでも生きていけそうな自信みたいなものがついたのかもしれない。ちなみに写真は、先月久しぶりに山を歩いたときのものです。山登りというほどではなかったけれど、やっぱり自然を歩くのはいいものですね。