2025年6月 2日

トラベラーズ風、ホッパー風

「AIでこんなこともできるんですよ」とAIに詳しい会社のスタッフが、僕に画像を送ってきた。何かと思って見てみると、トラベラーズノート風のデザインが施されたグラフィックだった。確かに、トラベラーズがよく使う「HAVE A NICE TRIP」とか「COFFEE」とか「MUSIC」などの言葉が散りばめられていて、ステッカーのように飛行機や電車などがレイアウトされている。

 それを見た瞬間の印象は、微妙にダサいパクリみたいだと思ったんだけど、本人は悪気なくやってくれたことだし、あまり直接的に言うのもどうかと思ったので、「へー、ここまでできるんだね」と言葉を返した。AIが認識するほど、トラベラーズが知られるようになったのは、それなりに感慨深いけれど、確かにこれを見てAI はすごいと思う人もいるのかもしれないとも思った。

 そもそもトラベラーズのグラフィックというには、ハシモトがデザイナーとして20年近くかけて血の滲むような思いで作り上げていったもので、そこには僕の思いはもちろん、使ってくれているユーザーの反応に、さまざまなコラボレーション先とのケミストリーも影響を与えている。もっと言うと、ハシモトが生まれてから見てきたことに聞いたもの、感動したり、心に共鳴したり、嬉しかったり、悲しかったりしたすべての個人的な感情や経験が反映されているし、僕の経験だって細やかながらも反映されているはずだ。

 そういったことをすべてすっとばして、トラベラーズっぽいという画像や情報を拾い集めて最大公約数的なグラフィックとして表層的に表現されることに、やるせなさを感じたけれど、同時にそのレベルに安堵もした。

 もちろんAIのすべてを否定しない。たとえば、マックがデザインの現場に入ってきたことで、写植や色指定をして版下を作成することがデジタル化されて、かなり作業は軽減された。それと同じように、写真に映る背景を変えたり、特定の部分だけ色を変えたりすることは、今でもフォトショップでできるけれど、けっこうな手間がかかるそれらの作業がAIによって簡単になるのを期待できる。

 ただ、そうすることで、職人的な細部へのこだわりみたいなものはなくなって、すべてのものが平準化されてしまうことも危惧する。さらに作業の途中で、まったく別のアイデアが浮かんだり、失敗が想定外の効果を生まれる可能性がなくなるのも寂しいと思ったりもする。

 グーグルマップのおかげで、旅に出ても道に迷うことは少なくなったけれど、道に迷って、思いがけずおもしろい場所を見つけたり、道を聞くことで、現地の人と交流が生まれたりする機会もずいぶん減ったような気がする。最近は自分の好みにあわせたおすすめの旅先をAI に聞くなんてこともあるみたいだけど、それはそれで興味の幅が広がらないし、想定外の出会いもなくなるんだろうな。

 なんだか昭和生まれの老害が、進化をなげいているみたいですね。でも、天邪鬼な僕らは、世の中がある方向へ向かえば向かうほど、そのことで失われようとするものに光を向けるのです。

 クリエーションにおいては、AIが進化するほどに、AIでは拾い集めるのが難しい作り手のパーソナルな記憶や熱い想いみたいなものの価値がより高まるだろうし、酔狂とも言えるくらいの強いこだわりや、遠回りして生まれたアイデアがより新鮮なものになるような気がする。そもそもトラベラーズノートは、効率性やデジタルとは逆方向の、アナログでエモーショナルな感性に訴えかけるようなものでありたいと思っているのだ。

 好むと好まざるとにかかわらず、AIはこれからも進化をしながら、僕らの生活に影響を及ぼしていくのは間違いないだろうから、便利な機能は使いながらも、本当に大切な部分は、あえてAIに頼らずトラベラーズらしくやっていけばいいと思っている。

 そんなことを考えていたら、20年前のトラベラーズノート発売前、ハシモトがロゴをデザインしたときのエピソードを思い出した。

 ハシモトは、まずマックでTRAVELER'S notebookの文字の横に地球をスタンプ風にあしらったロゴをレイアウトした。僕は画面を見て「かっこいいじゃん」と言うと、ハシモトはちょっと考えて「この地球のロゴの本物のスタンプを作ってもいいですか?」と聞いてきた。僕は単純にロゴのスタンプができるのが嬉しくて「いいじゃん。作ろうよ」と答えたけれど、彼女は本物のスタンプを押した紙をスキャンして、それをもとにロゴを作ろうと考えたのだ。

 その後、届いたスタンプを押してみると、ロゴがぐっと味が出て深みを増した。さらに出力した紙を布でこすったり、丸めて広げたりして、自然に味を出す方法を試した。軽くセロテープを貼って剥がすと、トナーが不規則にはがれて、文字がカスれたように見えるのを発見すると、僕らはおもしろがって、トラベラーズノートの文字にペタペタとセロテープで貼って剥がしてを繰り返し、経年変化で文字がカスれているような表現をした。そして、ハシモトは、その出力紙をスキャンして、スタンプのスキャンと組み合わせてロゴを完成させた。

 スタンプにしても、カスれた文字にしても、似たような表現は、当時もフォトショップのレタッチ機能を使えば簡単にできたけれど、ハシモトは手を動かして楽しみながら、よりリアルな表現をしていくことにこだわったのだ。そして、このことをきっかけに、ノートにスタンプを押してカスタマイズする楽しさも発見。その後、イベントやトラベラーズファクトリーの定番コーナーになった。きっと、こんなことはAI にはできないはずだと僕は思う。

 写真は、文章とかあまり関係ないんだけど、昨年アメリカに行ったときに撮影した夜のデニーズ。みんなで少し寂れたデニーズに入って、タバコを吸うために外に出たら、まるでエドワード・ホッパーの絵みたいに見えて写真を撮った。他の人がそう見えるかは別にして、AIではなく本当に撮ったエドワード・ホッパー風の写真です。ちなみに「Nighthawks」で検索すると、たくさんのパロディが出てくる。

 昨年、アメリカに行ったときに、夕食後にビールを一杯飲もうと、みんなで少し寂れたデニーズに入った。しばらくして、タバコを吸うために外に出たら、まるでデニーズが、まるでエドワード・ホッパーの「夜ふかしの人々(Nighthawks)」の絵みたいに見えて、嬉しくなった。僕は思わず写真を撮ると、少し寒かったけれど、2本目のタバコに火をつけてしばらくその風景を眺めた。