2025年5月26日

アウト老

 健康診断に行ったら、いくつかの項目でよろしくない結果のようだ。脂質やコレステロール、胃が荒れ気味で腎機能も良くない。さらに体重も少し増えた。そんなわけで、検診後にお医者さんから指導を受けた。この日は香港から帰って三日目。せっかくの香港だし、肉類中心にいつもより脂っこくで、ハイカロリー目の食事が続いて、体重はいつもよりちょっと高めに振れていた。その分、指導もいつもより長く続いた。

「タバコは吸いますか」「はい(問診票に書いてあるじゃん)」
「やめましょうね」「あ、はい(小さめな声で)」
「運動していますか」「たまに自転車で会社に行ってます。そのときは1日2時間くらいは自転車乗ってます(ここはちょっとドヤ顔ぎみに言う)」
「では、その回数をもっと増やしましょうね」「あ、はい(……)」
「揚げ物やお肉は好きですか」「嫌いではないです(好きなんて言えない)」
「なるべく控えてくださいね」「はい」僕はふと思い出して言葉を続けた。

「いやあ、ちょうど香港に行ってきたばかりなんですよね。ちょっといつもより食べ過ぎちゃったかもしれないですね」なんて、言い訳がましく僕が言うと、お医者さんは、「ああ、そうなんですか。タイミングが悪かったですね」と興味なさげに言いながら、「二、三か月後に再検査してくださいね」と告げた。

 56歳になった。ここ数年、健康診断ではいつも再検査の告知を受ける(だけど、再検査には行ったことがない)。右手を上げると、相変わらず肩にちょっとした痛みが走る。最近は毎朝、起きるときに背中や腰にぴりぴり痛む。トイレは近いし、近いものは見えない。目の前の毎日のように話をしているスタッフの名前を間違えることは多々ある。そんな感じで、みうらじゅんが言うところの「老いるショック」を感じる機会も多くなった。

 今から20年前、トラベラーズノートが生まれるきっかけになったノートのコンペがISOTで開催された。そのために依頼していたトラベラーズノートのファーストサンプルが、タイから届いたのは、ちょうど20年前のこの季節だった。手にしただけで何かがはじまりそうな予感がして、このノートを持ってすぐにでも旅に出たくなったのを今でも鮮明に思い出すことができる。そして、何度か修正を依頼して、最終形のサンプルが届いた。僕が使っている黒いトラベラーズノートは、そのサンプルだ。

 あのとき、僕は36歳。健康診断はA判定で、体に痛みはなかったし、夜中にトイレで起きるなんてことはなかった(と思うけど、正直覚えていない)。あれから20年経って、使っているトラベラーズノートと同じように傷もシミも増えて、ずいぶんクタクタになってきた。

 使えば使うほど味が出て、美しく変化していく。そんな風にトラベラーズノートの魅力を定義して、その実験をするように使い続けてきた僕のノートも、20年経って、革は少し柔らかくなり、ちょっと縮んだみたいだけど、いまだに現役で使えている。

 僕もまた美しく変化しているかどうかは別にして、体も頭もガタが来ているところはあるけれど、いまだに旅をする体力も気力もあるし、行きたい場所はいっぱいある。いまだに飛行機に乗るときは、もちろん、京都に出張するのに新幹線に乗るときだって、心が躍る。

 トラベラーズノートがはじまって間もない頃、作っている僕ら自身が、トラベラーズノートに飽きたら、その進化も終わってだんだん売れなくなるんだろうな、なんて思っていたけれど、20年経ってもいまだに飽きることもない。トラベラーズノートのこれからをみんなと話をしていると、今だってワクワクする。

 最近、「老いるショック」のみうらじゅんは、「アウト老」になることを提唱している。「若づくり」ではなく「老けづくり」をする。他の人が見たら意味がないようなことを、「そこがいいんじゃない」とあえて追求する。不安に襲われそうになったら、「不安タスティック」と呟いて蹴散らす。

 寅さんがまっとうな家庭を作れないように、黒板五郎が手作りの家でひとりで暮らすように、高倉健が不器用であるべきなように、「しょうがない人だ」という称号を与えられたら、多少の粗やわがままは許してもらえる。だけど、同時に歳をとると自然と増える権威を振り払い、「ケンイ・コスギ」にならないように注意し、謙虚でいる。

 トランプから抗議を受けても、堂々とトランプ批判を続ける75歳のブルース・スプリングスティーンに、79歳のニール・ヤングは、まさに「アウト老」の鏡のような存在だ。「アウト老」と呼ぶにはまだ早いけど、金沢ベンリーズ&ジョブの田中さんや、京都シックスティーズの羽賀さんみたいに、還暦を過ぎてもあくなき好奇心で好きなことを追求している先輩たちもいる。

 使うほどに味が出るトラベラーズノートみたいに、味を武器に、楽しく好きなことを追求していく「アウト老」に憧れる。