2010年3月 2日

3月の憂鬱


 
ついに3月です。
 
学生時代の最後の2月から3月、トルコを旅していました。ちょうど3月の始め頃は、イスタンブールからサフランブルを経由し、黒海沿岸の街を歩いていました。その後訪れた地中海沿岸がトルコの「陽」、だとすると、黒海は「陰」のイメージで、日本人旅行者に会うこともなく、寒い気温もあってどこかうら寂しい気分になっていました。夜には、ひとり街にあるハマムと呼ばれる銭湯のような施設にいて、時間をつぶしていました。
 
ちょうどその頃、大学卒業のための成績発表があり、ぎりぎりの成績であった私はちゃんと単位が取れて卒業ができるのかどうかを友人に確認してもらう約束をしていました。

発表があった日、時差を計算し、テレホンカードを買って、その友人に電話をしました。それが始めての国際電話だったのですが、あまりにクリアな電話の音に、友人はほんとうにトルコなのか?川崎あたりのトルコじゃないかと、当時のおやじさえも言わないようなつまらない冗談を言ったりしました。
 
日本で電話を受ける方も国際電話ははじめて。まだインターネットもEメールもない時代です。お互い、遠い国からの電話は雑音がまざった話しにくいものというイメージを勝手に持っていました。電話で、無事卒業ができることを確認でき、さらに誰と誰は留年だったという話を聞いて、ほっとしたのと同時にどこかでその留年が決まった友人のことをうらやまく思ったりもしました。
 
その後、一人で食堂に入り食事をしました。テレビのサッカーに熱中するトルコ人達を横目に、帰ってからの生活を考えると、すこし重い気分になっていきました。
 
卒業をひかえた学生にとって、3月は新しい生活が始まる前のちょっとした準備期間。春を訪れを告げる暖かい風をあびると、期待と不安、寂しさなどの感情が複雑にからみあった少し憂鬱な気分を思い出したりします。