2010年3月 3日

カッパドキア


 
寂しい黒海沿岸の街から長距離バスを乗り継ぎ、奇岩で有名なカッパドキアに入りました。そこは有名観光地。同じ年頃の日本人旅行者にも会うことができました。その前の寂しさを埋めるかのように、そこで知り合った男女4、5人のメンバーで、奇岩群や洞窟教会をまわりしました。
 
ある日、そのメンバーで街を歩いていて、昼食の時間になったので食堂を探すことにしました。いくつか食堂らしきお店を見つけることはできたのですが、どこも閉まっています。そこで、街を歩いている男の人に声をかけて身振り手振りで、何か食べられるところがないか聞いてみました。すると路地裏にひっそりと佇む小さな食堂に案内してくれました。
 
彼は、その食堂に入るとなにやら店主と話をはじめました。最初は面倒そうな顔をして帰ってほしいというような素振りだった店主もやっと納得して店の奥に私達を導いてくれました。
 
その店はお昼時だというのに閑散としていて、数人しかいない客は何を食べるではなく、手持ち無沙汰に闖入者である私たちをじっと見つめていました。通されたのは、狭い店内の奥でまかない部屋のようなところ。どうして、入口近くの明るいテーブル席で食べられないのかと、身振りで伝えましたが、ここで待っていろと示すばかりです。
 
その寂れた雰囲気に、少し警戒心を抱きましたが、厨房からパンの焼ける匂いが漂ってくると、気持ちは一気に、食べ物への興味に傾きました。チーズやトマトソースがのせられたピザのようなパンは焼きたてということもあり、美味しく食べました。
 
店内にいる数人の客は、私たちが食事をしている時も、じっと私たちを眺めています。そのときは、明らかに場違いの私たちが珍しく眺めているかと思っていました。
 
そして、お腹もいっぱいになり満足げにその店を出て行きました。ホテルにもどり、そのことをスタッフに話すと、それはラマダーンだからだ教えてくれました。イスラム教のトルコでは、ラマダーンの時期に断食を行います。その期間、日の出から日没の間何も食べてはいけないことになっています。それを聞いて、食堂が閉まっていたことや食堂の中の人の厳しい視線の訳が分かりました。
 
あらためて思い起こすと、お腹を空かせた人の前で、堂々と食事をするという行為はひどい迷惑だったことに気付きました。ただ、そんな思いも寄らない習慣に出会うのも旅の楽しみだったりします。
 

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