2012年6月 6日

日常を撮ろう


 
私が小さい頃に親が撮ってくれた写真を見ていて、思わずはっとなるのは、被写体でなくその背景として写っている近所の風景だったり、当時住んでいた家の家具やおいてあるモノだったりします。でも、その頃の一般的な家庭では写真は特別なことがあった時に撮るものだったこともあり、旅行に行った時の写真はけっこうあるのですが、家の中や近所で写した写真は意外と少なかったりします。
 
家に置いてあった家具調のでっかいステレオや、シールがいっぱい貼られた鉄の学習机、やぶけた上に何度も貼り紙をしたふすま、はじめて買ってもらったラジカセや自転車、そんなものが写真に残っていたら楽しいなあと思うけど、まったく残っていません。近所にいくつかあって、格好の遊び場だった材木置き場や木材加工所は、すべて取り壊されてマンションになってしまいました。よくおつかいに行かされた肉屋や豆腐屋、学校帰りに通った駄菓子屋も今はもうなくなっています。でも、その風景も写真には残っていません。
 
自分が今まで撮った写真を見返してみても、思わず感慨深く見入ってしまうのは、やっぱり日常の何気ない風景。大学時代の仲間とバンドの練習をした汚い部室のスタジオ、営業車から眺めた冬の雪道、まだ灰皿を置くことを許されていた会社の机の上、そして、上の写真は20年前の一人暮らしの散らかった部屋。どれも今では見ることができない風景です。写真を見ていると、当時の心境が胸の奥からじわじわと浮かび上がってきます。
 
当たり前ですが、自分自身もその周りの世界も日々変化していきます。写真は、変化のなかで失われていく風景を切り取りながら、そのときの人の記憶をも留めておいてくれるのです。何気ない今日という日も二度と見ることができないないかけがえのないもの。だからこそ、カメラやノートで記録を残すのはとても大切なのかもしれません。