2016年11月 7日

ノートに絵を描こう

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最近、絵を描くのが楽しい。もちろん画家を目指してこれで食っていこうなんて野望はこれっぽっちもないんだけど、お気に入りの道具でトラベラーズノートに向かって描くことに没頭する時間が純粋に楽しいのだ。
 
そういえば、小学生の頃、ちょっと変わった絵の先生がいたのを思い出す。学校の中で最も年配で、授業中みんなが絵を描いている時間になると、椅子に座ったまま眠ってしまうような先生だった。無口で愛想がなく、饒舌に授業をするタイプでもないので、みんなからは好かれていなかったし、他の先生たちともあまり話をせず、むしろ孤立して煙たがられていたような存在だった。
 
だけど、僕が絵を描いていると、例えば、「人の体はまっすぐじゃなくて、背中や胸、腰とかいろいろなカーブが集まってできているんだよ」と他の生徒には言わないようなアドバイスをぼそっと僕にだけよく語りかけてくれた。絵を描くことが好きだった僕は、そんなことが誇らしく嬉しかったし、その先生に対しても好意を持っていた。
 
ある時、授業中みんなで課題の絵を描いていると、やっぱり先生は眠ってしまって、それに気づいたみんなは絵を描くのをやめておしゃべりをはじめた。最初は絵を描いていた僕も、なんとなくつられておしゃべりに参加した。しばらしくしてガヤガヤした音で目を覚ますと、先生は静かにしなさいと声を荒げ、みんなはふたたび静かに絵を描き始めた。先生は教室をゆっくり歩いてみんなの絵を見てまわった。そして僕の前で足を止めてしばらく絵を眺めると、「いいじまくんの絵はつまらくなったなあ」とぼそっと言って去っていった。
 
あの時、どんな絵を描いていたのかは、まったく覚えていないけれど、その言葉にショックを受けて胸を痛めた感覚は今でも覚えている。自分の絵から大切な何かが失われてしまったのか。真剣に絵を描くことに向かわなかったからなのか。その理由を伝えることもなく、ただひとこと、つまらなくなったと言い放つ。一般的な教育的見地からすると、先生のやり方は決して正しいわけではないのかもしれなけど、ちょっと変わった先生がゆえの、噓いつわりのない言葉なような気がして、同時にそれまでは認めてくれていたことの証明のようにも感じた。
 
あの時、あの言葉にもう少し真剣に向き合って先生と話し合ってみたら、今とは違った生き方をしていたかもしれない、なんて思ったりもする。
 
5月から使っていた画用紙リフィルが、ちょうど最後のページを描き終わったので眺めてみる。一貫性はないし、雑だったり、いびつだったりするけど、その時、見たものや頭に思いついたイメージが形になって残っていくのは楽しい。 もうこの世にはいないであろう先生が、今、この絵を見たらなんて言うだろう。ふと、そんなことが頭に浮かんだ。きっと、面白くなってきたな、なんて言ってはくれないだろうけど、いつか自信を持って見せたいと思える絵が描けたらいいな。
 
芸術の秋、ということで皆さまもノートに絵を描いてみてはいかがでしょうか。子供の頃を思い出して楽しいですよ。
 
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