我輩はノートである。
我輩はノートである。名前はまだない。トラベラーズノートという我々全体を示す名前はあるようだけど、我輩個体の名前はない(……我輩なんて使い慣れない言葉を使うと、そのうちボロが出そうだからやっぱり私でいく)。
私の持ち主である男が、なにかの拍子に、私の体にペンキで「2」という数字を描いてからは、たまに「2号」なんて呼ばれたりするけど、呼ばれる方としては、妾みたいでおもしろくない。そもそも同じ日に生まれた兄弟の黒と茶から、黒の私を選んだ理由が、私に人気がないので、自分が使ってたくさんの人に見てもらえれば、もう少し他の人からも私を選んでもらえるかもしれないと思ったからだというのも、なんだか気分が良くない。
それに男が使うようになってからも、私の人気は相変わらず低く、最近はキャメルやブルーなどの後から誕生した弟たちにもすっかり水をあけられている。男だって、私を使うのをやめて、キャメルやオリーブを使っていた時期があったし、今は仕事で使っているメインのノートはブルーに切り替えていて、私は画用紙をセットし絵を描くためのサブのノートになっている。だけど、キャメルやオリーブの時と同じように、そのうち私がメインのノートに戻るような気がする。一番付き合いの長い私に愛着があるはずだし、なんだかんだ言ってもやっぱり男は、私の黒い革の色や手触りが気に入っているのだ。
この男との付き合いは、もう12年になる。長い間触られたり、あちこち連れていかれたせいで私の体には、男の汗や脂がたっぷりしみこんで、ところどころ艶が出ていたりする。さらに、この男の性格は粗雑で、雨に濡れた道路の上に平気で私を置くし、なぜか食事中に私をテーブルに置いて写真を撮ったりするから、雨にコーヒーやお酒、さらに食べ物の汁がついて、シミになっていたりもする。その上モノがいっぱい詰まったカバンにそのまま無造作に私を放り込むから、身体中傷だらけだ。
だけど、なぜか男はそんな汚れてくたびれた私のことを味があると言って喜んでいる。さらに男だけでなく他の人も、いい味が出ていますね〜、なんて言ったりする。私は最初は嫌味か冗談でそんなことを言っているのかと思っていたけど、どうやらそういうことでもなさそうで、本気でいいと思っているらしい。その影響で、今では私も自分の傷だらけの体をちょっと誇らしく思うようになった。
思えば、男とは一緒に世界中いろいろな場所へ旅をした。もともと男は旅が好きだったみたいだけど、私と一緒に過ごすようになってから、旅をすることが増えていったようだ。私の生まれ故郷であるタイのチェンマイには何度も行った。生まれた時のことはほとんど覚えていない。だけど、チェンマイの穏やかな空気に触れると、私の体が喜び、生命力を取り戻してくるのと同時に懐かしさを感じるのは、やっぱり生まれた時の記憶が蘇ってくるからなのかもしれない。
去年のアメリカへの旅もそうだったけど最近は旅に行くと、私の仲間によく出会う。旅先に、たくさんの人たちが私の仲間を手にしてやってくるのだ。男は、旅先でそうやって、茶やキャメル、ブルー、オリーブ、そして黒のたくさんの私の仲間たちに出会うと、とても嬉しそうだ。手入れをされてピカピカになっているものに、かっこいいステッカーで飾られていたり、あえてなにも飾らずシンプルなままでいたり、その姿もさまざまだ。私もそんな仲間たちに出会うのは楽しい。
私の汚れて傷がたっぷりの体が、私を使う男が粗雑であることで示しているように、その佇まいがそれぞれの使い手の人柄を感じさせてくれるのも楽しい。昔はきれいに手入れしていたり、美しく飾られた仲間を見ると羨ましく思うこともあったけど今はあんまり気にしていない。12年も付き合うと、私も慣れてくるし、男に対して多少は情が湧いてくるのだ。
ずっと一緒にいれば、楽しい時ばかりではなく、悲しかったり、辛い時も一緒に過ごしている。汗や脂、コーヒーや雨水に加えて、私の体にはちょっぴり男の涙が染み込んでいるのを知っている。だけど、じっくり紙面に向かって絵を描いてうまくいったのか、男がニヤッっと笑顔になった時は私も嬉しいし、男が私を手にしてどこかへ旅に出ようとする時は、私だってワクワクする。そもそも男は粗雑な上に、けっこう自堕落でウジウジした性格だから、私がちょっと引っ張り背中を押してやらないとダメなのだ。
12年経ち、ずいぶん年をとったような気もするけど、この前みたいに、体に付いているゴムを変えればまだまだ問題なく使える。まあこれからもいろいろあると思うけど、よろしく頼むよ。