2020年4月27日

夢の旅

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沢木耕太郎氏の新しい本を読んでいたら、冒頭にこんな文章を見つけた。
 
「ある時代までの日本では、ハワイへの旅が『夢の旅』の代名詞になっていた。(中略)現代では、たとえどんな遠くであっても行って行かれないことはなくなってきたという意味において、『夢の旅』というものが存在しにくくなっているように思える」

世界中のほとんどの人が自由に旅することができない今、旅そのものが夢のような存在になってしまっている。もちろん永遠にこの状態が続くとは思っていないけれど、今は旅を夢見ることによってでしか旅への渇望をいやすことができない。こんな時代がやってくるなんて誰も想像すらできなかったよな。そんなことを思いながら読み進めると、次のこんな文章があった。
 
「とすれば、現代の『夢の旅』は空間ではなく、時空を超えた旅、過去への旅ということになるのだろうか。かつて私の『夢の旅』は、ヴェトナム戦争時のサイゴンと、1930年代のベルリンと、昭和10年代の上海に長期滞在する、というものだった。どの街も爛熟した妖しい雰囲気を持った土地のように思えたからだが、もちろんタイムマシーンにでも乗らなければ行くことができない。その意味で、まさに正真正銘の『夢の旅』だったのだ」
 
なるほど。どうせ旅を夢想するのなら、沢木氏のように、いっそ現実不可能な旅にしてみるのもおもしろいなと思った。例えば、空の旅が特別だった1950年代のパンナム航空や、アレキサンダー・ジラルドらがデザイナーを務めていた1970年代のブラニフ航空に乗って旅をしてみたい。ロックが隆盛を極めた、1960年代のロンドンやサンフランシスコにも行ってみたいし、パンクがはじまった1970年代のニューヨークやロンドンもいいな。言葉や安全が担保されれば1920年代のパリに江戸時代の東京だって面白いだろうな。だけど残念ながらタイムマシーンはまだしばらくは発明されそうにない。それに訪れたその瞬間にしか立ち会えない儚さもまた旅の醍醐味のような気がする。
 
前に書いた大学時代の香港の旅もそうだ。ビル群の隙間をぎりぎりに降りていく飛行機の着陸だって、啓徳空港が閉鎖された今ではもう味わうことができない。あの旅で、香港の街を歩いて驚かされたのは、当時に日本で大ヒットしていた宮沢りえのヌード写真集のコピー版が路上のいたるところで売っていたことだった。もちろん今の香港では、当時のようにあけっぴろげにコピー商品を売ることもないし、日本でああいった写真集がミリオンセラーになることもないんだろう(ちなみに僕も友達とお金を出し合って、大学生協で購入した)。
 
その後、香港には何回も訪れているけど、空港が変わり、中国に返還され、SARSの感染拡大があったり、民主化運動があったりしながら、少しずつ変化しているし、同時に変わらずに残っていることもある。同じ土地に何度も足を運ぶことによって、点と点が繋がり、より立体的に街を感じられるのもまた旅の醍醐味だ。
 
トラベラーズとしても香港には、2006年のメインヴィジュアルを重慶大厦で撮影したことからはじまり、2011年に海外での初のイベントをログオンで開催、2013年にはスターフェリーとのコラボレーションに船上でのユーザーイベント、2014年のトラム、2016年のノートバイキング、2017年のミスターソフティ、そして昨年のマニュアルファクトリーベアまで、たくさんの旅をしてきた。そして、今ではそのどれもタイムマシーンがなければ行くことができない「夢の旅」だ。
 
今、世界中の多くの人が旅をすることができず、家にとどまっている。旅の歴史を紐解いてみても、きっとこんな時代はいまだかつてなかったことだと思う。いつかまた自由に旅ができるようになったとき、あんな時代もあったなあとしみじみと思い出す時がくるんだろうな。不謹慎かもしれないけど、そんな貴重な時代を生きていることを少しでも楽しめたらいいんだけどね。
 
家から出られない休日。本を読んだり、映画を見たり、革で何かを作ったり、ノートに向かったりしながら、旅を想像して過ごしています。
 
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