恥の多い生涯を送ってきた
先々週、幼稚園での記憶を書いたけど、もうひとつ、今も記憶として残っている幼稚園でのできごとがある。あまりいい思い出ではないし、面白いオチがある訳でもないから、誰にも話をしたことがないけど、今でもなぜかたまにその時のことが頭の中に蘇ってくる。
最初に断っておくと、ちょっと汚い話で申し訳ないのですが、僕は幼い頃からお腹がゆるくなりがちだった。それで幼稚園で大を一度漏らしてしまったのだけれども、その翌年も同じことをしてしまった。先生に手伝ってもらいながらなんとか処理が済み、それなりに反省をしながらトイレに出ると、すでに他の園児たちはバスで帰っていた。少しほっとして、外にいた先生のところへ行くと「お母さんがもうすぐ迎えに来るから待っていて」と言われた。
季節は夏休みが終わって間もない頃だった。僕は、日陰に立っていた先生から少し離れたところに遠慮がちに立ち、照りつける日差しを浴びながら、所在なげに母親を待っていた。すると、一緒に待ってくれていた先生は手にしていた汚れた下着の入ったビニール袋を少しだけ持ち上げて、となりにいた先生に小声で話しかけた。
「年長になってもこういうことってあるのね」
「そうねえ、うちではじめてじゃないかしら」
もちろん先生たちは聞こえないように話をしているつもりだったので、僕も聞こえないふりをして、平静を装っていた。だけど、頭の中では、情けなさとか、申し訳なさや悔しさが台風のようにぐるぐると渦巻き、泣き出したい気持になっていた。このことを電話で聴いているはずの母親はどんな顔をしてここにやって来るのだろうか。きっと僕はヘラヘラと苦笑いをしながら、大したことないふりをして迎えるのだろう。そんなことを幼いながらに脳内シミュレーションしながら、できればこの日一日をなかったことにして、ただこのまま消えてしまいたかった。
だけどこの日はなかったことにはならずに、記憶にもしっかり刻まれながら、消えてしまうこともなく、あれから50年近く生き長らえている。ふと、この記憶がきっかけになり、過去をめぐって脳内トリップしてみると、ここに書くのは憚れる、この種の恥ずかしくて情けない思い出が次々と頭に浮かんできた。そうか。似たような経験を繰り返すたびに、過去の記憶が呼び戻されて頭の中で再現されるから、50年も忘れずに残っていたんだな。
「恥の多い生涯を送って来ました...」太宰治の『人間失格』のフレーズを思い出し、ひとり苦笑いをした。今まで自分の半分は、ロック・ミュージックでできていると思っていたけど、本当は人に知られたら恥ずかしい記憶が積み重なってできているのかもしれない。でも、自分の半分がロック・ミュージックでできているという考えも十分恥ずかしいな。
さて、今週の木曜日9月10日は、いよいよ2021ダイアリーが発売、あわせてトラベラーズタイムズ15号もリリースします。今年のダイアリーは本がテーマということで、トラベラーズファクトリーでは、毎年開催しているweekend booksさんの古書コーナーとあわせて、2021ダイアリーの下敷やカスタマイズステッカーのデザインモチーフとなった古書も一緒に展開します。さらに11日、12日には4月以来休業をしているトラベラーズファクトリーエアポートが、2日間臨時で営業を再開します。そして、トラベラーズファクトリー店頭およびオンラインショップでは、毎年恒例の革タグのプレゼントもあります。
そんな訳で、ダイアリー2021の発売に向けて、今週は久しぶりにいろいろなことが動き出すということで、バタバタと準備を進めている。ぜひ楽しみにしていただけると嬉しいです。もちろん、いろいろ気をつけながらではあるけど、やっぱり誰かが喜んでくれる姿を想像しながら、仕事をするというのは楽しい。
恥の多い人生を送ってきたけれど、今、心からそう思って仕事ができているというのは、誇ってもいいことだと思ったりもする。2021年もトラベラーズノートをよろしくお願いします。