トラベラーズの妄想
そういえば、トラベラーズノートの世界は、妄想することから始まったんだ。小さな子どもに紙とクレヨンを与えると一心不乱に頭に浮かんだ世界を描いていくみたいに、トラベラーズノートは僕らの心の奥底に澱のように沈殿し、しばらく思い返すことがなかった記憶を再び浮き上がらせ、妄想することを誘発した。
トラベラーズの新聞があったら楽しそうだなと妄想してトラベラーズタイムズを作ったし、トラベラーズの基地を妄想することで、トラベラーズファクトリーができあがった。頭の中で妄想していたことが言葉やデザインによって具体的なイメージを伴っていき、さらにリアルな物や空間として作り上げられていくときのワクワクした高揚感。
妄想は現実性とは離れて根拠がないことをとりとめもなく想像することだから、それが実現できるがどうかとか、そのためには何が必要なのかとか、それがどんな役割を果たすのかとか、そういうことはぜんぶ後回しにして、ただこうだったら楽しいということだけを考えて頭の中にぐるぐるとイメージを巡らせる。そして仲間とそれぞれの妄想を無駄話のように共有しながら膨らませていく。
ここでも現実性とかそのことがもたらす意味よりもまずワクワクを共感できるかどうかが大事。そうやってトラベラーズの世界を作ってきた。
もちろんすべての妄想が実現したわけではない。むしろほとんど実現していない。だけど、みんなの妄想をストックしていると、人との出会いやチャンスがやってきて、本当にそれが実現したりすることがある。妄想こそがトラベラーズの世界を作る上での一番の楽しさであり、力の源泉だった。
例えば、トラベラーズホテルがあるとしたらどんなホテルだろうかと妄想してみる。頭の中にはかつて泊まったホテルや、いつか泊まりたい憧れのホテル、映画でみたホテルなどの記憶がぐるぐると巡っていく。
所々に落ちている牛のフンを踏まないように気をつけながら裏通りを歩いて辿り着くインド、ニューデリーのナマスカールホテル。朝になるとアザーンの声で毎朝起こされたイスタンブール、ブルーモスク近くのホテル。営業時代に出張時の定宿にしていた秋田の商人宿。アートやカルチャーを感じるワクワクする空間に、フレンドリーなサービスが嬉しいエースホテル。感動とおもてなしの心が詰まった星のや。本で知った昔の文豪が缶詰になっていた高級旅館に、映画で見たアメリカのロードサイドのモーテルに、大戦前のヨーロッパの豪華絢爛なクラシックホテル。記憶の中のホテルがフラッシュバックしながら、妄想のホテルが少しずつイメージを表していく。
トラベラーズホテルを妄想してみる。例えば、それは深い森の湖畔にある。そこへ行くには停留場でバスを降りてから、ずいぶんと森の中を歩かなければならない。森の道は分かりづらく、霧に包まれているから、大抵の人は途中で道に迷っていないか不安になる。それでもなんとか森の中を歩き続けて、不安が頂点に達し、もうダメかもしれないと絶望を感じる頃に、やっと霧の切れ目から、青い湖とともトラベラーズホテルが見えて来る。
重い扉を開けて中に入ると、ピアノを弾いていたオーナーらしき老人がこっちに目を向け「いらっしゃいませ」と告げる。さらに美しい女性が気持ち良い親密な笑顔を見せ「コーヒー飲みます? ちょうど今淹れたばかりだから、きっと美味しいはずですよ」と言いながら、その返事を聞く前にコーヒーを持ってきてくれた。
それほど広くないロビーには、ピアノの他に何年も使われていることですっかり味が出ている大きな革のソファーに素朴な作りのテーブルがある。ソファーに腰を下ろし、コーヒーを一口いただく。「あ、美味しい」、香り高く苦みがありながらすっきりした飲み口で後味にほのかに甘味を感じる。ピアノを聴きながら、しばらくコーヒーを楽しんだ。
「彼はどんな曲でも弾けるから、聴きたい曲があったらリクエストしてみてくださいね」女性はチェックインを促すこともなく、まるで友人の家に訪ねてきたように話かけてきた。
キリがないからこの辺りでやめておくけど、こんなふうに架空の何かを妄想するのは楽しい。妄想すれば、いつか何らかの形で実現するかもしれないしね。
あと数日で今年も終わり、2022年がはじまります。2022年には、もっと仲間と共に楽しくワクワクすること妄想をしていこう。妄想こそ、トラベラーズ原点だな。
皆様も楽しい妄想をトラベラーズノートに記し、2022年を迎えればきっと素晴らしい1年になるはずです。良いお年を。