2023年6月26日

Downtown

 精神病院を舞台に、さまざまな心の問題を抱えた若い女性患者たちの葛藤と交流を描いた映画『17歳のカルテ / Girl, Interrupted』で、印象的なシーンがある。

 顔にひどい火傷痕があることで、精神が不安定になってしまっている入院患者のひとり、ポリー。あるとき、自分にキスをしてくれる人なんてどこにもいないと、泣き叫び錯乱状態になってしまうと、看護師たちによって隔離室に閉じ込められてしまう。そんなポリーをなぐさめようと、ウィノナ・ライダー演じる主人公のスザンナはギターを取り出して、閉ざされたドア越しに弾き語りで「Downtown」を歌う。さらに若き日のアンジェリーナ・ジョリー演じる女性患者のリーダー的存在のリサも一緒に声を揃えて歌う。すると、ずっとドアの中から聞こえていたポリーのすすり泣きの音が止む。

 「Downtown」は、1964年リリースのペトゥラ・クラークによるヒット曲(たぶん、タイトルは知らなくてもきっと誰もがどこかで聴いたことがあるような曲だと思う)。スザンナのギターと歌は、たどたどしくてけっして上手くはないのだけど、そんなことよりも、誰かを元気にしたいという真摯で強い想いに、メロディーと歌詞がぴったり重なれば、感動を呼び起こすことができるということを教えてくれる素敵なシーンだ。ちなみに最近の映画だと60年代と現在のロンドンの街が舞台の『ラストナイト・イン・ソーホー』で、歌手に憧れロンドンに出てきた女の子がオーディションの場面でこの曲を印象的に歌っている。

「ひとりぼっちで孤独を感じたら
 いつだって行くことができる
 ダウンタウンにね

 心配ごとがあっても
 賑やかで慌ただしい街並みが
 きっとあなたを救ってくれるはず
 ダウンタウンでね

 街の賑わいが奏でる音楽を聞いてみて
 ネオンがきれいな路地で立ち止まってみて
 落ち込んでなんていらないでしょ
 街の灯りは輝きを増して
 悩みも不安もぜんぶ忘れさせてくれる

 さあ、ダウンタウンに行こうよ
 ダウンタウン、ここではなんでもうまくいく
 ダウンタウン、ここより素敵な場所は他にない
 ダウンタウン、みんなあなたを待っているよ」

 ダウンタウンという言葉は、ここでは下町ではなくて繁華街とか町の中心部という意味。話はちょっと横道に逸れるけど、「ダウンタウン」といえば、僕と同じ50代くらいの方は、「俺たちひょうきん族」のエンディングテーマだったEPOが歌う同名異曲が頭に浮かんでくるかもしれない。オリジナル曲は、山下達郎や大貫妙子がいたシュガー・ベイブが1976年にリリースしているのだけど、ここでのダウンタウンも、繁華街という意味で使われ、さらに歌詞もペトゥラ・クラークの「Downtown」とほとんど同じような内容なので、きっとこの曲にインスパイアされて作られたのだと思う。

 それはさておき、正直に言えば僕自身は、寂しいときや辛いときに繁華街に繰り出そうなんて考えたこともないし、そんな経験もないのだけど、旅に出たいと思うことはよくある。だから、「ダウンタウン」を「旅」に、もっと言うと「旅先の街」に置き換えれば、歌詞の感覚に深く共感することができる。

 道に迫り出す看板にネオンが輝く香港のネイザンロード、おいしそうな匂いを放つ屋台が連なる台北の夜市、世界中からやってきた旅人でいっぱいのニューヨークのタイムズスクエア、パリにロンドン、京都に札幌、この前行った鹿児島だってそう。旅先で賑やかな街を歩けば、それだけでもう気分が上がってくる。

 日常から離れて旅に出て、これといった目的もなくその土地の繁華街を歩く。心地よい風にのって流れてきた香ばしい匂いに誘われて屋台で買ったホットドックをかじってみたり、思いがけず聴こえてきたお気に入りの歌に引き寄せられて、路上の弾き語りの前で足を止めて聴き入ったり。おもしろそうな品揃えの古本屋やレコードショップを覗いて歩き、疲れたらオープンテラスのカフェでコーヒーを飲みながら、街を行き交う人々を眺める。夜だったら、地元の人で賑わうパブや居酒屋に入るのもいい。そうすれば、心は晴れ晴れと浮き立ち、心配ごとも悩みだって忘れてしまう。

 そういえば、トラベラーズノートやトラベラーズファクトリーもそんな存在になりたいとずっと思っている。ノートを開いて真っ白な紙に向き合い、何かを書いたり、描いたり、貼ったりすることで、楽しかった思い出や、わくわくする想像が広がって、悩みも忘れてしまう。トラベラーズファクトリーに足を踏み入れたら、心が躍るプロダクトたちと空間が迎えてくれる。ときにはお気に入りの曲が流れたり、好みのイベントが開催されていたりするかもしれないし、そんな中でスタッフや他のお客さんと話をしているうちに、少しでも心が晴れてくれたら嬉しい。

 いっそのこと、トラベラーズタウンがあったらなんて妄想してしまう。トラベラーズトレインから降り立ち、街を歩く。トラベラーズダイナーでお腹を満たし、トラベラーズレコードにトラベラーズブックスを覗いて、トラベラーズカフェでひと休み。コーヒーを飲みながら、トラベラーズノートを開いていると、自然と同じノートを使う他の客と話が弾む。泊まりはもちろんトラベラーズホテル。孤独や絶望を感じていても、そこを訪れ、街を歩けば、楽しい体験や想いが通じ合える誰かに出会い、すぐに心は晴れやかになる。

「ダウンタウンだったら、
 あなたを救ってくれて、
 あなたのことを理解してくれる誰かと
 出会えるかもしれない

 ここには、あなたみたいに
 誰かに優しく手を差し伸べてもらって
 一緒に街を歩きたいと思っている人だっているの

 そう、わたしとだって会えるかもしれない
 一緒に悩みも不安もぜんぶ忘れようよ

 さあ、ダウンタウンに行こうよ
 ダウンタウン、ここに来ればみんなうまくいく
 ダウンタウン、じっとしてないで早くね
 ダウンタウン、みんなあなたを待っているのよ」

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