2010年1月 7日

美しく悲しい音楽


 
学生時代、ブルーハーツのライブをテレビで放映した時のこと。ボーカルのヒロトは、素肌にはいているジーパンのジッパーをぎりぎりまで下ろしたり、上半身裸で顔を歪めて舌を出しながら痙攣したり、ジャンプしたりして叫ぶように歌っていました。
 
バンド仲間のKは、そんなライブの映像をたまたま居合わせた父親と一緒に見ていたようで、まったくこいつらはろくなもんじゃないぞ、という話を聞かされながらの鑑賞となったようです。ロックに興味がない大人にとって、それは当たり前の反応だったのかもしれません。
 
そんな中で、父親が陶芸家の友人がいて、一緒にテレビを見ていたら、その父親が「こいつらはほんとうの悲しみを知っていて、それを表現している」と言ったそうです。このバンドの曲もその放送で初めて聴き、特別ロックが好きな人ではありません。その対照的なコメントを聞いて、やはり芸術家はものの本質をきちんと見抜く力があるのだなあと感心したのを覚えています。
 
人が作り出した美しいものに出会って感動する時、同時にそこから悲しみを感じることがあります。それは、美しいものは切なくて儚いもので、弱さや醜さをひっくるめた本当の自分をさらけ出すことで生まれてくるものだからなのでしょう。それ故に、美しいものは誤解されやすいのかもしれません。
 
年末年始の休みによく聴いていたのがソフトロックと呼ばれるジャンルの音楽。90年代始め、日本では渋谷系と呼ばれるロックに多大な影響を与えたということでちょっとしたブームになりましたが、当時は、甘く軽い聴き心地が安っぽく感じてそれほど惹かれませんでした。しかし、歳をとるにつれて、ロジャー・ニコルズ、ゾンビーズなどの音楽の美しさの裏にある悲しみが理解できるようになったような気がします。
 
そんな中で、最近何度もリピートして聴いているのが、The MILLENNIUMのBEGIN。光が揺れ動くなかの一瞬のきらめきを捉えたような美しさは、切なくて儚く、そして、それ故に悲しみを感じさせてくれます。
 

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