たんぽぽのお酒
12歳の夏、やっと手に入れることができたスポーツタイプの自転車とラジカセが夏を輝かしいものにしてくれました。その年の夏休みの早朝、毎日のように友達と2人で自転車の荷台にラジカセをのせて、近くの空き地まで自転車を走らせていました。
今は美術館がある大きな公園は、その当時は整地する途中で放置された空き地になっていて、草が生い茂る場所と土の見える場所が混在するちょっとしたラリーコースのような場所だったのです。
誰もいない早朝の空き地、当時憧れていたパリ・ダカールラリーで砂漠を走るバイクをイメージし、自転車ででこぼこの土の上を必死になって走りました。雨が降った翌日は、土がどろんこになって、その上を泥まみれになりながら走るのがとても気持ちよかったのです。
水飲み場の蛇口から直接水をかけて、泥でよごれた足を洗うと、ベンチに座ってはだしの足を夏の太陽にさらして乾かしながら、ラジカセから流れる佐野元春やYMOを聴いていました。
夏が終わると、本格的に工事が始まり、その空き地は完全に入ることが出来なくなってしまいました。夏は永遠に続くような気がしていましたが、空き地がなくなるとともに、夏にも終わりがあることに気付かされました。
「たんぽぽのお酒」はアメリカ、イリノイ州のグリーンタウンという小さな街に住む12歳の少年ダグラスの一夏の体験とそこで感じた事が、街で暮らす人々の生活とともに美しくもほろ苦く描かれています。
たんぽぽのお酒を作ることから始まったその夏、様々な事が少年に、そしてその周りで起こります。幸福マシンを作ることで幸せを失いそうなる男、若い新聞記者と老いたヘレンの切ない恋、父の転勤で突然街を出て行くことになった親友との別れ...。夏はさまざまな経験を少年にもたらし、切なく儚い、大切な思い出となって記憶に刻まれます。そして、読者はともに同じ夏を経験することでそれぞれの少年の日の夏の切なさと美しさに気付きます。物語の最後、少年は夏が終わっても、たんぽぽのお酒を口にすれば夏の日の記憶を思い出させてくれることを知ります。
間もなく、また新しい夏が始まります。この本を読んで、もう一つ気付いたのは、今年の夏もまた二度と来ないということ。夏は、靴を脱いではだしで草の上を走ることができる季節なのです。だから新しい発見や体験がいっぱいあって、輝かしかったり、ほろ苦かったりする思い出を作る季節。それは、少年だけの特権ではありません。
たんぽぽのお酒を作るように、ノートにたくさんの記憶を刻むことができるのが夏なのです。