2011年11月16日

Everything Must Go


 
東京では朝晩はだいぶ冷え込むようになりました。ダウンのジャケットを押し入れの奥からひっぱり出して、久しぶりに袖を通す。もう、そんな季節になったんですね。
 
毎年この季節になると思い出すのは、学生時代の学祭のこと。音楽サークルに所属していた私たちにとって、それは一大イベントでした。学祭が始まる一週間前になると、その準備として野外ステージ作りがはじまります。イントレと呼ばれる鉄パイプを組んで足場を作り、その上にステージを組み立てていきます。
 
かなり大きく本格的なステージを自分たちで作り上げていくため、それはけっこう大変な作業で、朝早い時間から授業が始まるまで、さらに授業が終ってから暗くなるまで、出演メンバー総出で作業を行いました。その大学は八王子の山奥にあるせいか、気温が東京の中心地より2〜3度気温も低く、早朝からの作業は、冬の寒さをいち早く感じさせてくれました。
 
作業期間中は朝早く大学に行かなければならないため、隅田川の向こう側から通っていた私とギター担当のYくんは、友達のアパートに泊まり歩くのが恒例となっていました。朝早く起きなければいけないのに、夜は夜で無駄話に花を咲かせ夜更かしをしてしまい、結局作業には遅刻してしまったことも多かったような気がします。
 
「これ聴いてみようよ」
「マニック・ストリート・プリーチャーズっていうイギリスの新しいバンドなんだけど、良いよ」
「うん、いいね〜」
「これはシングル集なんだけど、これからデビューアルバムを発表して、それを世界中でナンバーワンにして解散するって言ってるんだよね」
「そうかあ、パンクだね〜、でも解散はもったいないなあ」
 
その頃は、音楽の話か女の子の話をしてれば、話題は尽きることがなかったのです。実は、イントレ組みの作業には、ジャズ研に所属している最近仲良くなりかけている女の子も来ていて、その子に会うのが楽しみだったりもしました。少しずつイントレを積み上げ、最後に照明を取り付ける場所は、ビルの3階くらいまでの高さになりました。そして、いよいよステージも完成し、学生最後の学祭の当日。
 
私たちの出番の日は、なんと雨で野外ステージは使えず、その日の急ごしらえで作り上げた教室内の小さなステージでライブをすることになってしまいました。「雨ニモマケズ・・・」と誰かに落書きされた黒板を背景に、ライブを行いました。でも、それも今となっては良い思い出です。ちなみに、仲良くなりかけていたジャズ研の女の子とは、その後、片思いだった好きな人が忘れられないという、よくある口実で振られてしまいました。
 
あの夜にYくんと一緒に聴いたバンド、マニックスはUKチャート13位のデビューアルバム発表後も解散することなく活動を続け、現在ではイギリスの国民的長寿バンドとしての地位を確立しています。そして、私は学生時代のバンド活動のように想いを共有できる仲間と仕事をして、学祭のようなイベントを仕事としてやっていたりします。あの頃より器用になったし、もっと必死でやっているけど、根本的な気持ちはそれほど変わっていないような気もします。