2012年5月21日

歳をとろう


 
「どんな上等なものでも(略)私は毎日そばに置いて荒っぽく使っている。時には瑕がついたり、はげたりするが、道具はそこまでつき合わないと、自分の物にはなってくれない。道具は物をいわない。だが、美しくなることで、こんなに育ちましたと、嬉しそうな顔をする。その瞬間、私は感動する。」
 
これは、当代一の目利きと言われた白洲正子の文章です。また一つ歳をとって43歳になってしまったのですが、この歳になってますます思うのは、ともに生きていく道具は、自分にとって大切な存在であって欲しいということ。
 
単に安いとか流行りだとかいうことで、安直に手に入れたモノと付き合っていくのはもったいない。今更、もっともっとたくさんのモノが欲しいとは思わないけど、自分の生き方や考え方にぴったり合う上質な道具と出合い、長く付き合うことで美しく育っていく、そんなモノに囲まれて暮らしていきたいとは思います。例えば、小さなことかもしれませんが、数年前に使い捨ての100円ライターを使うことをやめて、真鍮製のジッポーに変えたのですが、手にした時の心地良さや、使うほどに色が深まりキズが増えていくのがとても愛おしいのです。
 
トラベラーズノートも使い始めて6年が過ぎ、増えていくリフィールの数と革のキズとともにますます愛着がわいてきました。意識せず安いだけのノートを使っていたら、知ることのできなかった感情だったはずです。きっとこれは人との付き合い方も同じで、単なる利害関係だけだったり、心が通じ合えない人とともに過ごし、時間を費やすのはもったいない。本気の想いをぶつけられる人や同じ夢を共有できる仲間、心から尊敬できる人ととも時間を過ごしていきたいです。
 
もちろん、そのためには自分自身が道具のように動き回り、メッキがはげて、瑕がついて、その奥の本質をさらけ出し、そこが磨かれなければならないのかもしれません。でも、そんな風に歳を重ねていけば、今よりずっと素敵な自分になれそうな気がします。そう考えれば、歳をとるのも意外と悪いことではないのかもしれませんね。

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