あの日、僕は旅に出た
今考えると、ぼくがはじめての海外旅行としてインドを旅した1990年は、旅をはじめるのにとても幸せな時代だったのかもしれません。ちょうどバブルの末期で、日本円のパワーが高まり、ぼくのような普通の学生でも、少しまとまったバイトをすれば、特別な覚悟なしで簡単にバックパッカーの旅に行けるようになった頃。
同時にまだインターネットは普及しておらず、テレビや雑誌であまり取り扱われることのない、アジアの国々の日常や貧乏個人旅行するために必要な情報は「地球の歩き方」くらいしかなく、それゆえに旅先で得られる体験は、すべて新鮮に感じることができたような気がします。当時インドの情報も、歴史や宗教を扱った本はたくさんあったけど、リアルなインドを感じさせてくれるものはあまりありませんでした。
実際に行ってみてまず驚くのは、タクシーの運転手のしつこさだったり、そこら中にいる物乞いだったり、人がたくさんいる路上で堂々と糞をする牛なのです。そんななかで右往左往しながら、だんだんと土地に馴染んでいき、少しずつ余裕を持てるようになると、気負いがなくなって、自由に軽快に旅が楽しめるようになる。
そんなインドの旅の視点を教えてくれた本が、本屋の旅のコーナーでインドに出発前に見つけた蔵前仁一氏の「ゴーゴー・インド」というちょっとふざけたタイトルの本でした。この本のなかで著者は、哲学者や歴史家ではない、普通の人が感じるフラットな視点でインドを眺め、旺盛な好奇心で軽快に旅をしてインドの面白さ、旅の面白さを語ってくれました。旅の動機は、自分探しとか文化的探究心など大それたものではなく、まだ見たことがない世界を歩いてみたいという単純なもので、それでも充分旅は楽しくて、有意義であることを教えてくれました。
その後、ぼくが旅に魅せられていくのにあわせて、蔵前仁一氏の著書を読み、彼が立ち上げて間もない「旅行人」というミニコミ誌の定期購読登録をしました。就職をして自由に旅に出られなくなっても、「旅行人」に掲載されている行く予定もない辺境の土地の情報を読んでいるだけで、ささやかな旅気分に浸っていました。
彼が推奨しているバックパッカーの旅は、日本人があまりいかないような場所をお金をかけずに旅をするスタイルで、その情報はマスメディアにとっては、ビジネスになりにくい領域。それを膨大な手間と時間をかけて発信していくには、単純に旅が好きで、そんな旅をしたい人たちに情報を与えたいとか、旅先で出会った才能ある人たちに文章を書く場を与えたいという動機がないとできません。
「旅行人」はそんな作り手の"好き"が起点となったパワーに溢れるとても魅力的な雑誌でした。最初は2色刷りの表紙に白黒の誌面だったのが、何年かするとカラーになり書店でも見かけるようになりました。しかし、いつしかぼくも「旅行人」の定期購読をやめてしまい、2年前その休刊を知りました。
「あの日、僕は旅に出た」には、蔵前氏が旅に魅せられ「旅行人」を立ち上げ、そして休刊するまでの半生が描かれています。休刊した動機も彼らしく、楽しく自分の作りたいものを作れないのなら止めてみようということ。その決断とモノ作りに対する姿勢は、とても潔く、旅好きのみならず、何かを表現したりモノを作っている方にも読んでほしい本です。この本を読んで、再びぼくは、バックパックの旅をはじめた時に、蔵前仁一氏の本に出会えてほんとうに良かったと思いました。
8月28日よりトラベラーズファクトリーで「読書月間」がはじまるということで、久しぶりに本の絵をトラベラーズノートに描いてみました。今年もweekend booksさんが素晴らしいセレクトでたくさんの本を持って来てくれました。とっておきの1冊を探しにぜひ、遊びに来てください。