Lust for Life
ずっと行きたかったんだけど、ステーションのオープンでバタバタしていて行けなかった映画、『トレインスポッティング』の続編をゴールデンウィークに見に行くことができた。
『トレインスポッティング』は20年前に公開されたスコットランドを舞台にした青春映画で、ジャンキーの若者達がメチャクチャな生活のなかで何かを掴もうと苦悩する姿を描いた作品だ。スタイリッシュで幻想的な映像と、イギー・ポップやブライアン・イーノなどをはじめとしたロックの名曲群とのシンクロが素晴らしくて、東北で営業の仕事をしていた20年前の僕は、確かな何かを手にすることができない不安や、日々のやりきれない気持ちを吹き飛ばすようにこの映画のサウンドトラックを車の中で大音量でかけながら、出張帰りの東北道を飛ばしていた。
続編は、当時と同じスタッフでその20年後を描くということで、期待と不安が入り混じる複雑な心持ちで映画館に向かったんだけど、いや〜ほんとうに良かったなあ。
あれから20年。髪の毛が寂しくなったり、少し太ったりして、前作と同じ役者が演じる登場人物達は、確実におっさんになっていて、まるで20年間使い続けて、傷がたっぷりついて、少しよれよれだけど味わい深く変化した革のトラベラーズノートみたいだった。だけど、相変わらずメチャクチャで、何かを掴もうともがいている。さらに映画を見ていたら、自分と彼らがほとんど同じ年齢だということに気づいて、それも感慨深かったな。
映画の最後、ユアン・マクレガー演じる主人公が、失意のなかで実家に帰り、ひとり部屋に入ると20年前と同じようにイギー・ポップのLust for Life を聴きながら踊るシーンがあるんだけど、それが彼らの精神が変わっていないことを象徴的に伝えてくれる。だけどここで流れるLust for Life は、前作と違いプロディジーによるリミックスバージョン。リミックスの必然として、マジンガーZや仮面ライダーがリニューアルのたびに、過剰に装飾的になっていき、本来の荒削りな魅力を削いでいくのと同じように、パワーアップはしているけどやっぱり原曲の方が数倍かっこいい。きっと作り手もそんなことは分かっているんだけど、あえて変えているような気がして、その心意気すらもかっこいいと思えた。
20年前の映画は、自分が変わらないことに対する不安を切迫感とともに伝えていたけど、続編は、変わらないことに不安を持ち続けることをむしろ肯定的に捉えているようなところがある。20年前の自分と今の自分を比べると、10年前にトラベラーズノートを作ったことによって、小さな何かを掴み、自分は少しは変わったような気もする。だけど、相変わらず思い通りにいかずに悶々とし、世の中や周りの環境と、自分たちのやりたいこととをどう折り合いをつけていけばいいのか悩んでばかりだ。どうにもならないことにうろたえて、憤ったり腹をたてることも多く、あの頃となにも変わっていないような気もする。
結局、40代半ばを過ぎても、漠然とした不安に耐えきれず、何かを掴もうと海外へ旅立とうとする若者と気持ちはそれほど変わらないのかもしれない。ただ違うのは、長く生き続けたことで、不安を持ちながら生き続けることに耐性がついただけで、そんな気持ちを失うことこそ最も恐れることだ。
進化や革新だけでなく、深化することでもいい。とにかく常に変わろうとする意思は、不安や憤り、痛みを伴うし、仮に一時的に何かを掴んだとしても決して終わることがない。その不安や憤りこそが、クリエイションの源であり、なにかを推し進めていくパワーになっていく。たくさんの音楽や映画、文学が、そのことを教えてくれて、同時に不安や憤りをパワーに変える転換装置のような役割を担ってくれた。トラベラーズノートも使い手の毎日に寄り添い、その意思を書き留めることで、ささやかながらも同じような役割をはたしてもらえたら嬉しいな。
人生の旅路には、面倒なことや不安なこともたくさんあるけど、それが旅というものです。皆様、トラベラーズノートとともによい旅を。