ハイタッチが苦手
子供の頃から、スポーツが不得意だった。特に、野球やサッカーなどのチーム競技が苦手で、試合で仲間と勝利の喜びを本気で分かち合ったり、負けた悔しさをみんなとともに嘆いたりした経験はなかった。体育の授業や体育祭では、勝利に貢献するなんて考えるよりも、負けにつながるミスをしないように気をつけるのが精一杯だった。
ただ唯一、走ることだけは得意で、小学生の頃は、クラスで1位、2位を争っていた。運動会では必ずリレーの選手に選ばれたし、みんなの応援を受けながら走ったのは、少年時代の数少ない栄光の記憶だ。だから、中学生になると陸上部に入部にしたのに、思春期を迎えるのにあわせて、足はみるみる遅くなっていった。
身も蓋のないことだから、あまり大きな声では言われないけど、中学生にとって運動能力は、持って生まれた身体能力や才能がなにより重要で、そういうものがある人が練習を積めば実力はさらに伸びるけど、道に落ちている石ころをいくら磨いても宝石にならないように、才能のない人の限界はいともあっさり分かってしまう。記録が個人ごとに数値化してしまう陸上競技は、その点が実にシビアで分かりやすい。そんなわけで、スポーツのなかで唯一の拠り所だった「走ること」からも、僕はあっさり振り落とされてしまった。
スポーツ、特にチームスポーツが苦手な少年は、脚光浴びたり、仲間と感動を分かち合う経験が少ない分、卑屈になったり、孤独を感じたりして、その心の空白を埋めていくように、音楽や本などの世界に没頭していくような気がする。いや違う。一般論じゃなくて自分がそうだっただけの話なのかもしれない。
とにかく、少年時代はなんといってもチームスポーツが重要で、絵や歌がうまいとか、料理や工作が得意とか、勉強ができるからと言って、極端に卓越していない限りヒーローにはなれない。少年にとってそれらは、孤独な自己満足の世界だった。そんな少年時代を過ごしてきたからか、今でもボーリングで、ストライクやスペアを出した時にするハイタッチが苦手で、本気で感動や喜びを感じていないのに、笑顔で手をあわせるのが、自分に嘘をついているようで、けっこう心苦しい。
僕がはじめてチームプレイの感動を感じることができたのは、音楽だった。仲間とともにバンドを組んで、人前で演奏したり、オリジナルの曲を作るようになったのは、大学生になってからだった。ギターを鳴らしたり、歌ったり、詩を書いたりすることは、自分をさらけ出さないと成立しない。それには、本や音楽に没頭した孤独な時間がけっこう役に立った。
正直に言えば、残念ながら僕はリズム感に乏しく音痴で、ギターもそれほど上手に弾けなかったけど、そんな人でも強い想いと、すばらしい仲間がいれば、人に感動を与えることができて、価値のある音を鳴らすことができるのが、ロックの素晴らしさであり、バンドの良さだっていうことに気付いた。そうやって仲間と音楽を作り上げ、息があった演奏ができた時のカタルシスは、チームスポーツで勝利を勝ち取った時に得られるものに近いのかもしれない。ハイタッチはしなかったけど、本気で感動を分かちあう瞬間は何度もあった。
今では音楽を作ることで感動を得ることはないけど、幸いすばらしい仲間に出会えたおかげで、仕事で同じような感動を得る機会がたくさんある。やっぱりハイタッチはしないけど。
歳を重ねるごとに知識や経験とともに幅が増えていくことで、スポーツが得意じゃなくたって、ずっと卑屈で孤独を感じている日陰者だって、同じような感動を共有できるチャンスが生まれる。それを知ると、大人になるって悪くないなと思うし、もっと知識や経験を増やしていきたいと思う。