2017年6月19日

真っ白な無地のノート

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トラベラーズノートのスターターキットには、罫線がいっさい印刷されていない真っ白の無地のリフィルがセットされている。
 
トラベラーズノートを最初に企画した時、一番悩んだのは、ノートとしてはかなり高類になってしまう、その価格だった。だから、少しでもコストを削減したかったけど、革の質を落とすようなことだけはやりたくなかった。そんな中、ノートを無地にするというのは、最初はコストを落とす方法のひとつとして思い付いた。中紙の印刷代分安くできると思ったのだ。計算してみると、それで実際に下がるコストは微々たるもので、販売価格に影響を及ぼすレベルではなかった。それでも、当時は、少しでも販売価格を下げたいという必死の想いがあった。
 
今ではそれほど珍しくはないけど、その頃は無地のノートはあまりなかったような気がする。僕自身も罫線が印刷されていない無地のノートは、トラベラーズノートの試作品として使ったのがはじめてだった。最初はちょっとした違和感があったけど、使ううちに自由でラフにざくざく書ける感じが、トラベラーズノートの佇まいとも合っていたのか、すっかり気に入り、無地の虜になってしまった。
 
まず思ったのは、自分の字の下手さが気にならずむしろ味のある字のように思えたことだった。さらにざくざく描いていくと、真っ白の紙が子供の頃のらくがき帳を思い出させてくれた。あの頃は上手いとか下手とか、そんなことを考えず、自由に無心にただ描くことを楽しんでいたんだ。そんな子供の頃の気分が蘇ったような気がした。さらに、絵を添えたり、チケットを貼ったり、スタンプを押したり、無地ならでは新しい使い方を発想させてくれた。その後、方眼や横罫のリフィルも使ってみたけど、やっぱりなにも印刷されていない無地が、僕には一番しっくりきた。
 
こうなると、もうトラベラーズノートに無地のリフィルがセットされるのは、必然になった。営業からは無地のノートは売れないんだよね、なんて声もあったけど、トラベラーズノートは、まず半強制的にでも無地のノートを使ってもらってほしいと思うようになった。
 
僕がそうだったように使い慣れない人にとっては、最初は違和感があるかもしれないけど、あの真っ白な紙面がもたらしてくれる自由な紙面の楽しさを体感してもらいたいと思った。それでもし気に入らなかったり、他の用途に使いたい場合には、横罫や方眼も用意してあるので、それでいいのでは思った。トラベラーズノートには、その後さまざまなリフィルが加わっているけど、ダイアリー以外に無地が多いのは、それがやっぱり一番トラベラーズらしいからだと考えている。ちょっと大げさに言えば、ルールや枠にとらわれず、好きなように自由に描くのがトラベラーズノートの醍醐味だと思っている。
 
僕はそれ以来ずっと、基本的には無地のノートしか使っていない。仕事で使うトラベラーズノートには月間ダイアリーとあわせて軽量紙がセットされている。軽量紙には、打ち合わせの記録からやることリストなどが時系列で書き連ねている。プライベート用には、画用紙と今はステーションエディションがセットされている。 
 
ステーションの方には、読んだ本の一節や行きたいお店や場所、ふと思いついたアイデアなどがとりとめなく書き連ねている。昨年からほぼ毎週1枚なんらかの絵を描いている画用紙リフィルは、3冊目になった。僕の机の上には、描き終えたたくさんのノートと、次を控えているたくさんの未使用のノートが混沌とした状態で並んでいる。使い終えたノートは、表紙にステッカーやチケットなどが貼られ、厚みも増して、すでに役割を果たした誇りと自信に満ちているように見える。逆に新しいノートは、まだ汚れもなくてきれいで、ちょっと所在なさげ。
 
ちなみに、ペンは、最近はブラス万年筆とブラスペンシルをそれぞれのペンホルダーに挿している。どちらもカートリッジを差し込んだり、削ったり、ちょっとした面倒な一手間があるんだけど、かしこまらずにざくざく書けるのがいい。どちらも真っ白なノートにぴったりの筆記具なのかもしれない。
 
今でもトラベラーズノートのリフィルを差し替えて、あたらしいノートの最初の真っ白のページを開く時は、新鮮な気持ちになる。こんにちは、しばらくお世話になるけどよろしくね、なんて心に思いながら、また何かを書き留める。すると、やっと出番が来たかと、ノートが喜んでいるように見えるのはやっぱり気のせいなんだろうな。
 
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