2017年10月23日

新しいノートと『パターソン』

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雨の日曜日、選挙の投票のために行った小学校から帰ると、カバンの中から新しい画用紙リフィルを取り出した。
 
トラベラーズノートの新しいノートリフィルの封を開ける瞬間が好きだ。パッケージから取り出されたばかりのノートは、まるでクリーニングから戻ってきたYシャツみたいに折り目正しくぴしっとしている。最初のページを開くと、まずは真ん中を指で馴染ませるように押して落ち着かせた。毎週一枚描いている画用紙リフィルもこれで4冊目。新鮮な気持ちで真っ白なページを眺めながら、さて何を描こうかと考える。
 
どうして僕は、ノートに絵を描くのだろう。仕事の備忘録だったり、打ち合わせの記録だったり、さらに書くことでアイデアを視覚化したり、頭の中を整理するためにノートを使うことも多い。そういった使い方は、書くことでトラブルを未然に防いだり、何か問題を解決したり、効率的に仕事をするためにノートに記しているわけで、つまり書く目的ははっきりしている。
 
だけどノートに絵を描いても、何かの役に立ったり、何かを解決してくれる訳ではない。それでも、これといった目的もなくノートに絵を描いたり、コラージュする人は多いと思うし、僕もまたちょっとワクワクしながら新しい画用紙リフィルの封を開けて、何かを描こうとしている。
 
先日、トラベラーズファクトリーでライブを開催してくれた山田稔明さんの薦めに従って、ジム・ジャームッシュ監督の映画『パターソン』を観に行った。主人公は、アメリカのパターソンという街に生まれ、そこでバスの運転手をしながら、判で押したような日々を暮らすパターソンという名前の平凡な男。だけど、彼には常にノートを持ち歩き、そこに自作の詩を書き留めるという、ちょっと変わった趣味がある。
 
映画は、ノートに向かって美しい言葉が連なる詩が綴られるシーンが繰り返されながら進んいく。彼が詩を書いていることを知り、その才能を認める唯一の存在である彼の妻は、素晴らしい詩なんだからコピーをとって出版社に持ち込むべきよ、なんて言うのだけど、パターソンははにかんだ笑顔を見せるだけで、コピーすらしようとしない。
 
なぜ彼は詩を書くのだろう。有名になるため? 誰かを喜ばせるため?そんな気持ちがまったくない訳ではないだろうけどそれが理由ではなさそうだ。ジム・ジャームッシュの映画らしく、そこに明快な答えが用意されている訳ではない。その美しい詩を映画の画面の中で読む僕らは、そんな理由はどうでもよくなり、普通の市井の人が、目的も報酬もなく、ただ純粋に日々の生活のなかで表現をし続けることの素晴らしさに感動をする。
 
詩人でもある主人公は、仕事であるバスの運転をしていても、乗客のちょっとした会話や、日常の風景のささいな変化にも敏感で、そこからインスピレーションを得ながら、日々を慈しむ心や周りの人たちへの深い愛を詩という形で表現する。彼の視点はまるで旅人のようで、映画のなかでまったく旅をしていないのに、ロードムービーのような旅情を感じさせてくれる。主人公は毎日ノートに詩を描くことで、そして彼の奥さんは家の模様替えをしたり、エキセントリックなパンケーキを発明したり、カントリー女王を目指しギターを練習することで、人生という旅の中で、ここではないどこかへ行こうとしている。
 
あまり面白くない開票速報のニュースをぼんやりと眺めながら、新しいノートに、映画『パターソン』に出てきた印象的な道具たちを描いてみた。そして、訪れたことがないその土地の暮らしを想像し、いつか旅してみたいなと思った。何かを描くことは、僕に旅人の視点を思い出させてくれる。
 
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