2018年5月21日

僕が9歳になった日、成田空港が開港した

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トラベラーズファクトリーエアポートからの情報によると、成田空港が40周年を迎えたとのこと。あわせて、その記念日、つまり開港日が自分の誕生日と同じだということもはじめて知った。もちろん誕生日は一緒でも年は違っていて、生まれは僕の方が早い。成田空港は1978年、僕の9歳の誕生日に開港した。

1978年と言えば、日本ではピンクレディーが絶頂を極め、キャンディーズが解散。サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビュー。他に松山千春「季節の中で」や、庄野真代「飛んでイスタンブール」などがヒット。はじまったばかりのテレビ番組「ザ・ベストテン」を見ていたから、それらの曲は今も頭の中で再現できる。ちなみにイギリスではセックス・ピストルズが解散、クラッシュはセカンドアルバムアルバムをリリース。まさにパンクの時代だった。でも、僕がそれらを聴くようになるのはもうちょっと先のこと。

そんな中で、成田国際空港ができたことはテレビのニュースなどで見ているはずだけど、その頃は周りに海外に行ったことがある人はもちろん、飛行機に乗ったことがある人もいなかったし、あまり印象に残ってはいない。9歳の少年にとっては、遠い異国よりも半径100メートルの世界がすべてだった。それからはじめて成田空港に行ったのは、13年後のこと。インドへ旅立ち、世界の広さを知った。

成田空港が40周年、僕は自身はあと1年で50周年。正直に言えばそんな実感はまったくないし、そもそも20歳の頃から価値観や趣味もそれほど変わっていない。歳をとった分、新しいことを覚えたり、経験を重ねることでうまくできるようになったこともそれなりあるけど、今でも力不足に気づいて落ち込んだり、うまくいかずに悩むことはたくさんある。もっと強く広い心を持ちたいし、もっと優しく温かい存在になりたいと思いながら、絶望感に襲われることもたくさんある。そんな時に心を奮い立たせるために聴く音楽だって20歳の頃とそれほど変わっていない。

先日、写真家のハービー山口さんとお会いする機会があり、面白いお話を聴くことができた。ハービーさんは、1973年にロンドンに渡り10年間過ごしている。そこで、パンクムーブメントに遭遇し、セックス・ピストルズにクラッシュなど、ミュージシャンたちの写真を多く撮影した。ハービーさんが撮影した、クラッシュのジョー・ストラマーの写真についての有名なエピソードがある。

ハービーさんは、ロンドンの地下鉄で、当時人気の絶頂だったジョー・ストラマーを偶然見つけると、プライベートな時間なので撮影は控えようと思いながらも、こんなチャンスはないからと思い切って話しかけて、撮影をしていいかと尋ねた。すると、彼は快諾し、何枚か撮影した後に、「撮りたいものはすべて撮るんだ。それがパンクだ」と言って去っていった。ハービーさんはこの言葉に勇気付けられて、カメラマンとして成功することに大きな影響を与えたという。

ハービーさんが、その後このエピソードをラジオで話した時のことを教えてくれた。この話をラジオで聞いて感動した50歳のトラックドライバーが、メールを送ってきた。

「昔カメラマンになりたくて、海外へも旅をして撮影してきたけど、結婚して家族を養うためにトラックドライバーになりました。お話を聞いて、また写真を撮ってみたくなりました。50歳でも遅くないでしょうか」

ハービーさんは、そのメールにこう答えたとのこと。「遅いなんてことは絶対ない。写真を撮るのに、年齢は関係ないです。だけど、トラックを降りる必要はありません。トラックの運手席から見える風景を撮ってください。それこそ、何十年もトラックを運転してきたあなたにしか撮れない写真になるはずです」

とても勇気が溢れてくる言葉だ。20歳の頃から何も成長していないと思いながらも、今までしてきた経験、感動、出会った人達、音楽、本、風景、目にしたり触れたりしたものすべてを、これからの未来への糧にすることができるのだ。意味のないことや無駄なことなんて、何もない。それにトラベラーズノートを手にしてから僕は少しかもしれないけど、変わった。あれから糧となる出会いや経験が加速した。

ジョー・ストラマーは50歳でこの世を去った。あと1年、まずは彼の年齢を超えるまでがんばってみようと思う。
 
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