2018年5月 1日

読みかけの本を持って、銭湯に行こう

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月に一度か二度ほど通っていた近所の公営の健康センターのような施設が建物の老朽化を理由に営業をやめてしまったので、最近は代わりに近所の銭湯を巡っている。住んでいるのが東京の下町ということもあって、自宅から半径2〜3キロまで広げて探すと、けっこうな数の銭湯が今でも残っている。しかも最近は、露天風呂があったり、温泉だったり、大きなサウナがあったり、工夫を凝らしている銭湯もたくさんあって楽しい。

銭湯に行く時は、いつも読みかけの本を一冊持って行く。サウナがついていれば、しばらくサウナに入り、火照った体を冷ますのに、脱衣所の椅子に座って本を読む。そして体が冷えてくると、またサウナに入り、本を読む。なぜか裸で読むとページが進む。そんな感じで時間を忘れて、いつも2時間ほど銭湯で過ごしてしまう。

日曜日、ちょっとした用があって出かけた帰り道、まだ明るい時間だったけど通りがかりで良さそうな銭湯を見つけたので立ち寄ってみた。露天風呂もサウナもついていないけど門構えが時代を感じさせる昔ながらの銭湯だ。まだ明るいからか、あまり混んでいない。子供も若者もいなくて、平均年齢はきっと60歳以上。その分ゆっくり入れるのがいい。高温風呂と書かれた札が掲げられている湯は、最近ではちょっと珍しい、突き刺すような熱さだ。体を膠着させながらゆっくり湯に浸かり、しばらく我慢。いよいよ耐えきれなくなって湯を出ると、体がまだら状に赤くなった。脱衣所の脇には、鯉が泳ぐ小さな池がある。池を前にした軒先には椅子が置かれていたので、僕は火照った体を冷やすように裸で座って本を読んだ。

本は、読みかけだったジョージ・オーウェルの小説「一九八四年」。舞台は徹底的に管理された未来社会。主人公は、政府に都合が良いように過去の歴史を改ざんするという仕事をしながらも、体制に対して疑問を持ちはじめている。あらゆる行動が監視されている中で、主人公は古道具屋で手に入れたノートに密かに日記を書くようになる。未来国家では、自分の考えを記すのはもちろん、ノートを持つことすら極刑に値する行為として禁止されている。さらに、足を踏み入れることが許されない、旧体制の頃の佇まいが残る古道具屋の二階に入り、他で味わったことがない安らぎを感じる……。

古い銭湯の軒先、縁の下で裸で椅子に座り、柔らかい春の風を浴びながら、ゆっくり一人で本を読むことができる幸せを存分に感じながら、僕はページをめくった。

小説の中では、身の破滅につながることが分かっていながら主人公が古道具屋の二階で、若い同僚の女性と禁じられた愛を育んでいた。僕は、平均年齢60歳以上の裸の男たちに囲まれた銭湯の脱衣所でひとりそのシーンを読みながら、ちょっとだけ嫉妬した。そして本を置いて、また高温風呂に浸かると、少し冷えた体はすぐにまた熱くなった。

銭湯を出る頃にはすっかり外は暗くなっていた。僕はタバコを1本吸うと、自転車に乗って家へ向かった。風呂上がりに夜の涼しい風を体で受けながら、自転車を走らせるのもまた気持ちいいんだな。
 
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