2018年6月 4日

教科書の余白は落書きだらけだった。

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落書きが好きだった。退屈な授業中は、黒板をノートに書き留めるより、教科書の隅に落書きすることに熱心だった。偉い人の写真の隣に、その顔を極端に崩した似顔絵を描いたり、丸や四角をいくつも描いて塗りつぶしたりしていた。それらは大人が見たら、こいつは大丈夫なのかと若干不安になりそうな絵だったかもしれない。だけど、そこに特別な意味や意図はまったくなく、ただ落書きをしていると無心になれて、気分が落ち着くから描いていた。
 
今思えば、僕にとっての落書きは、スヌーピーの漫画に出てくるライナスが毛布を持ち歩くようなものだったと思う。中学生になってもそのくせは直らず、むしろ退屈な授業が増えた分、教科書の余白スペースは落書きだらけになった。思春期らしく、混沌とした不安に包まれながら、悶々と不器用に毎日を過ごしていたから、そんな気分を反映してか、落書きの絵もますます変になっていった。
 
引き合いに出すのはおこがましいけど、上手い下手は別にして、キング・クリムゾンの「クリムゾンキングの宮殿」のジャケットのような、ダークで怪しい空気が漂っていた落書きだった。中学時代の僕には、それを見た一部の人たちから、気持ち悪い絵を授業中にこそこそ描いているやつだ、という符号が貼られた。だけど幸か不幸か、目立つ存在ではなかったから、それがクラスの話題にあがることもなかった。 
 
音楽サークルに所属していた大学時代のある日、相変わらず描かれていた落書きを見つけた先輩が、「その絵いいね」と言いながら、学祭で開催するライブの告知ポスターを描いてほしいと言ってくれた。大学に入り、仲間と音楽をやるようになって僕はちょっと変わった。バンド仲間と一緒に演奏したり、人前で歌ったり、曲を作り上げていくことで、仲間と何かを作ったり、表現をすることの喜びを知った。そして、それまで誰かと心から本気で何かに取り組んだことがなかった僕の内向きの性格を変えてくれた。
 
僕は照れながらも喜んでポスター作りを引き受けた。その頃はパソコンなんてなかったから、マジックで絵を描き、タイトルに日程や場所などの情報もすべて手描きで仕上げた。すると、先輩は「おー、すごいじゃん」と言ってくれて、当時は高価だったカラーコピーをして、会場に何枚も貼った。なんの価値もないと思いながら退屈な時間を埋めるように描いていた落書きが、ほんの少しでも何かの役に立つことができるのを知った時は、ほんとうに嬉しかった。
 
それから15年以上たって、同じような経験を与えてくれたのが、トラベラーズノートだった。トラベラーズノートを作る時に大事にしたのは、まず何よりも自分たちがほんとうに欲しくて、かっこいいと思えるものにしようということだった。そのために、まず僕らがしたのは、今まで自分が好きだったこと、感動したことを見つめ直すことだった。本棚の本を読み返し、お気に入りのプレイリストを聴き直し、今までの感動の理由を思い出した。それは、かつて描いてきた落書きをあらためて見直すような行為だった。そして、その感動を仲間と共有しながら、共通点を見付けて研ぎ澄ましていった。
 
そんな中でデザイナーのハシモトが、デザインや絵をちゃんと学んだことがない、僕の落書きのような絵を認めてくれて、プロダクトに落とし込んでくれた時は、ポスターを描いてと言われた時以上に嬉しかった。だって、冴えない中学時代の授業中に誰にも見られることがない落書きを、ひとり悶々としながら描いていたことにもちゃんと意味があって、将来の仕事に繋ながっていることを証明できたのだ。なんだか、中学生の自分が、その時の自分に最高のプレゼントを届けてくれたような気分だった。トラベラーズノートは、そうやってそれまでの自分たちの仕事のやり方を変えてくれた。
 
今でも、退屈な会議や研修などに出ていると、つい配られる資料の余白に落書きをしてしまうことがある。必要があって誰かにその資料を誰かに見せる時に、はっと気づいて焦ってしまうくらいなので、けっこう無意識でそれをやってしまう。
 
毎週ここにアップしているトラベラーズノートに描いている絵だって、落書きみたいなものだ。だけど、中学生の時と同じように、絵を描いていると気分が落ち着いて、漠然とした不安やイライラした気持ちを忘れさせてくれる。未だに心が落ち着くことがない僕は、49歳になってもライナスの毛布を手放すことができないでいる。だけど無理してそれを手放す必要もないとも思っている。だって、何年かしたら、将来の自分への最高のプレゼントになるかもしれないしね。
 
きっとトラベラーズノートに誰のためともなく何かを描いている人はたくさんいると思うけど、やっぱり続けていくことには、意味があると思います。

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