東京モンタナ急行
最初にその本を見つけたのは、中目黒にある古書店だった。「東京モンタナ急行」というなんとも奇妙な旅を連想させるタイトルに、砂漠地帯を颯爽と走るどこか懐かしい黄色い列車が、無機質なタッチで描かれている表紙のイラストが目に入った。手に取ると、チャード・ブローティガンのまだ読んだことがない短編集だということが分かった。
「おまえは俺を読むべきだ」と、本が書棚の中から光を放ちながら訴えかけてくるような気がして、本との出会い方としてはもう完璧だった。だけど、レジに持って行こうという気持ちを躊躇させたのは、定価の何倍もするその値段だった。まだ読むべきタイミングではないのだと自分を納得させて、その時は、別の本を買って店を出た。だけど後ろ髪を引かれる思いがあったのか、その後何日かしてなんとなくその本屋に行ってみたら、もうすでに「東京モンタナ急行」は売れてしまって棚にはなかった。その時は、ほっとしたような、がっかりしたようななんとも言えない気分になった。
それから7年後。7月に参加したALPS BOOK CAMP のあるブースで箱の中に詰まった本を物色していたら、この黄色の列車の表紙が目に止まった。その時は、もう悩むことなく購入した。あれから7年経って、やっと読むべきタイミングがやって来たのだと思った。ちなみに、その本屋はその後の自転車旅で訪れた盛岡のBOOK NERDというお店の出店ブースで、図らずも「東京モンタナ急行」が導いてくれた興味深い出会いとなった。
さて、家に帰ってゆっくり本を眺めてみると、表紙のイラストは、永井博氏によるものだということが分かった。永井博といえば、大瀧詠一の名作『A LONG VACATION』のアルバムジャケットで有名だけど、モチーフが砂漠地帯を走る列車であることで、あのトロピカルなプールサイドに隠れた、孤独感とか寂寥感がより際立って見える。このイラストにこのタイトル。まるで思わずジャケ買いしてしまうレコードみたいに読み手の気持ちを刺激する、すばらしい佇まいだ。
ページをめくると、この本は短編集だから、まずはそのタイトルが記されている目次がある。
「会ったことのないすべての人びとと、行ったことのないすべての土地」
「いま、日本人の烏賊釣り漁師たちは眠っている」
「300枚のクリスマスツリー写真をどうする?」
「四谷駅へ」
「カリフォルニアの郵便配達人」
「1953年型シボレー」
「東京で鉄道を敷く」
「ベイルートで朝食を」
一編は、数行から長くても数ページ、ほとんどが1ページ程度だから、タイトルだけでも8ページある。まずはそのタイトルを眺めているだけで、想像力を掻き立ててくれて楽しい。そして目次の次に、作者による序章ような言葉が綴られている。
「東京モンタナ急行は高速で走るが、途中の停車駅は数多い。本書はそれらのつかの間の停車駅。自信にみちた駅もあるし、いまだに自分の本質を探し求めている駅もある。『わたし』とは『東京モンタナ急行』列車の停車駅の声である」
もちろん、この言葉の真意を尋ねられても何のことかはよくわからない。そもそもこの本には東京モンタナ急行という列車はいっさい出てこない。この序文が与えてくれる僕に与えるイメージは、旅と自分の存在は密接に繋がり、読み手もまたの途上にあるということ。そしてなによりこれからはじまるたくさんの物語への期待を高めてくれる。
この本に綴られている短編小説は、そんな言葉のイメージの連続だ。そこに明確なストーリーや答えなんてない。そのすべては読み手の感じ方に依存されている。白と黒、善と悪、正と誤、右と左……。そこに区分けなんてできないはずなのに、分かりやすい明確な答えを求めようとする風潮にあらがうように、この本はあいまいで抽象的なイメージをいくつも提示してくれる。「Don't think. Feel ! 考えるな、感じろ」ブルース・リーが映画で言っていた言葉を思い出した。
例えば、トラベラーズノートに記した「ハーモニカ中学校」という一編がある。そこにどんな意味を読み取るのかは、読み手次第
だけど、それはそれとして、すこぶる面白いし、ハッピーな気分になる。
きっと答えは、黒とか白のように切れ味のよい明確なものではなく、白と黒のインクが複雑に混ざり合ったグラデーションのようなあいまいでゆらゆらした存在なのかもしれない。昨日には白く見えたものが、今日には黒に変わってしまうこともある。美しいメロディーは、その意味を考えることなく、ただその美しさに何度も浸ることができるように、この本もまた書斎の机に置いて、くりかえし何度も手に取りたい。残念ながら僕には書斎も机もないけど。
9月5日より、トラベラーズファクトリー中目黒で「TRAVELER'S BOOKS 読書月間」ということで恒例の沼津のweekend booksさんの出張コーナーがはじまります。今年もトラベラーズにあわせてたくさんの本をセレクトしていただいています。とっておきの1冊との出会いを探しに、ぜひ遊びに来てください。