夜のさんぽ
三ヶ月ほど前に新しい革の靴を買った。新しいといっても、もう何年も前から履いている靴とまったく同じもので、その靴底がだいぶすり減ってきて、張り替えてもらうのとあわせてもう1足買ったのだ。
この靴は履き慣れるまでちょっと時間がかかる。買ったばかりの靴に、はじめて足を入れる時は、締めつけられるようにきつくて痛い。最初の数日は、靴下を履いて足を入れることができないから、裸足で履いて慣らしていく。もちろん、すぐに足の裏にマメができてしまう。それでも絆創膏を貼って、締め付ける靴の中に足をねじ込んで履き続ける。そんな荒行のような日々を1週間ほどを過ごすとやっと普通に履けるようになる。
そして数ヶ月もすると、まるで自分の足型にあわせて作ったかのように、ぴったりフィットする。そうなると革靴なのに靴べらなんていらないし、裸足にサンダル気分で履いたり、スニーカーみたいに軽快に歩くこともできる。最近は、仕事も出張も、自転車に乗る時も、散歩にも旅にも、雨の日も風の日も大抵この靴を履いている。
会社からの帰路。ふと、最寄りの駅ではなく、その次の駅まで歩いていくことにする。新しい靴もいい感じに足に馴染んできたし、最近読んだ川崎長太郎氏の小説に、やたらと散歩をするシーンが綴られてたのに感化されて、ちょっと歩いてみようと思った。それに一駅歩くといってもわずか20分程度で、たいした距離ではない。10月になりだいぶ涼しくなってきたし、のんびり夜の街を歩くのもなかなか気持ちいい。
イヤフォンから流れるのは、b-flower の「つまらない大人になってしまった」という曲。b-flowerは、8月の京都恵文社で開催した山田稔明さん率いるゴメス・ザ・ヒットマンのライブに、ヴォーカルの八野さんがゲストで参加したことではじめて知った。
1980年代半ばから活動をはじめ、90年代には当時の日本でのネオアコブームの一端を担ったバンドだったとのこと。2000年以降は活動を休止し、12年ぶりの新曲としてリリースしたのが、この曲だ。 ネオアコらしい瑞々しく美しいギターサウンドとともに、儚く繊細すぎる声で歌われるのは、曲名の通り、つまらない大人になってしまったことを嘆くだけの歌詞。ライブでは、まるでミュージシャンらしからぬ地味なポロシャツにチノパン姿で、ぼそぼそっと話すMCの後にこの曲を歌った姿に感動し、それからiTuneでダウンロードをし何度も聴いている。
「手にしたはずの確かな愛は
こうしてずっとこぼれ続けるのか。
掲げていたシャングリラ(理想郷)には
僕はきっともう届かないのだろう。
ああ、なんでこんなつまらない大人になって
しまったんだ」
言葉だけ読むと、大人の卑屈な愚痴のように見えるけど、八野さんの透明感のある繊細な歌声で聴くと、大人になっても、いまだに確かな愛や理想郷を求めざるを得ない純粋かつ悲痛なメッセージのように心に響いてくる。しばらく音楽から遠ざかり12年ぶりの新曲に、あえてこんなタイトルをつけるセンスが、かっこいいと思った。夜の道を一人目的もなく歩く時のBGMとしても、しっくりくる。
大通りを曲がり、薄暗い神社を抜け商店街に出ると突然その先に東京タワーが見えて、ちょっと嬉しくなった。そのまま歩くと、建物の影になってすぐに見えなくなってしまいそうなので、立ち止まり、遠くでぼんやり光る東京タワーをしばらく眺める。写真に撮ろうと、iPhoneを取り出し、シャッターを押したけれど、写真の東京タワーは、実際に目の前にある姿と比べると、あまりも小さく薄暗くて、頼りないものだった。
賑やかな商店街を歩くと、銭湯を見つけた。思わず中に入り、30分ほど湯に浸かる。すっかり気分もよくなって、裸足のまま靴を履き、外に出ると、涼しい秋の風を体中に浴びながら思いっきり深呼吸をした。
つまらない退屈な日常にささやかな光を灯すように僕らはお気に入りのものを手に入れたり、音楽を聴いたり、本を読んだり、散歩をしたりして毎日を旅するように過ごす。あとで、写真には映らなかった東京タワーをトラベラーズノートに描いてみようと思った。