2019年1月21日

名前のこと

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ちょっと前のことなんだけど、会社に自分と同じ名字の人が入ってきた。それほど珍しい名字ではないのだけれど50年近く生きてきて、そういうことは初めてだったので、自分の目の前で「イイジマさんには、こういうことをやってもらおうと思っている」なんてことを聞いたりするだけで、なんとなく気恥ずかしくなったりした。

自分で口にする時には、妙に早口で言ったり、逆にゆっくり言ったりして不自然な感じになってしまう。今ではだいぶ慣れてきて、その名前を聞く時も口にする時も平静を装えるようになったけど、正直に言えば、心の中では違和感がなくなったわけではない。その人は同性だからまだいいけど、これが若くて綺麗な女性だったりしたら、「同じ名前に、こんなおじさんがいていやがったりしないかな」とか余計なことを考えて無駄に緊張してしまうんだろうな。

自分の場合は、同じ名字の人にそれほど頻繁に出会わないけど、「さいとう」とか「わたなべ」みたいに、二、三十人のチームであれば必ず二人以上はいそうな名字の人は、そんなことはすっかり慣れていて、自然に同じ名字を呼べるのかなあ。逆に「五郎丸」みたいに、かなり珍しい名字の場合は、どんな気分になるのだろう。
 
名前と言えば、「トラベラーズノート」は、発売のきっかけが13年前の社内コンペだったのだけれど、コンペに出展した時は「トラベルジャーナルノート」という名称をつけていた。実際に発売することになった時に、その名前を調べてもらったら、そのまま商品として発売するにはちょっとした問題がありそうだということで、いろいろ考えて「トラベラーズノート」に変えて発売することになった。
 
「トラベラーズノート」は、固有名詞でなく一般名称と思われがちなんだけど当時はグーグルで日本語と英語で検索しても、ノートの品名や使い方などで、その名称はいっさい出でこなかったし、自分としては、ノートの名前としてはなかなか個性的だと思っていた。それが一般名称だと思われてしまうのは、かつてウォークマンがそうであったように新しいカテゴリーを作った商品の宿命みたいなものなのかもしれないと思うようにしている。ちなみに「トラベラーズノート」は、国内外で登録されている、デザインフィルの登録商標です。

そんな問題があるけれど、今でもこの名前にしてよかったと思っている。まずなにより覚えやすいし、言いやすい。昔、年配の上司が、ディズニーランドのことをデズニーランドと言ったり、キディランドのことをキティランドを言ったりするのを笑っていたけれど、今では自分も同じようなことを言って、逆に笑われてしまうことがよくある。「きゃりーぱみゅぱみゅ」なんて当然流れるように口にすることなんてできない。でも「トラベラーズノート」だったら、きっとほとんどの人がつまずかずに言うことができますよね?

また、簡単な英語だから、中学生以上だったら(小学生でも?)その意味を理解できる。さらに日本のみならず、きっとほとんどの国で同じように理解できるし、その名前が醸し出すイメージはきっとそう変わらないと思う。あと、「トラベラーズ」と「ノート」を分けて「トラベラーズ」を、名詞として使えば、バンドの名前みたいでかっこいいし、チームとか仲間とか、ひとつの運命共同体を表す言葉として捉えることができる。
 
ロゴの下にあるコピー「For all the travelers who have a free spirit」は、まさにそのことを示している。さらに「トラベラーズ」を形容詞として考えれば、ノートの代わりにいろいろな言葉を差し替えることができる。トラベラーズカフェ、トラベラーズエアラインみたいに、トラベラーズXXXと下の言葉を考えることで、その世界は大きく広がったし、その後、トラベラーズファクトリーとかトラベラーズカンパニーみたいに新たな名前を考える時も、必然のように決まっていった。
 
そんなわけで、今となってはむしろ「トラベルジャーナルノート」が使えなくてよかったと思っているし、もしその名称のまま発売していたら、今とは違ったモノになっていたような気がする。

人の名前というのは不思議なもので、年をとるにつれて、その人の風貌や性格に溶け込んで、その名前がぴったりだと思うようになってくるものだけれど、それは人に限らずモノも同じなんだと思う。最近は、長いカタカナの名前が覚えられないだけじゃなく、人の名前を言い間違えたり、ど忘れすることも多くなってしまったけど、やっぱり名前は大切なものだから、きちんとしないといけないなあ。
 
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