ノートに向かうということ
お久しぶりです。個人的な事情で、先週、先々週とブログの更新をお休みしていました。今週から復活しましたので、またお付き合いいただけたら嬉しいです。
もう先々週のことになるのだけど、スペインのアーティスト、アイトールさんがトラベラーズファクトリーに来てくれて、イラストワークショップを開催したのでそのお話を。
アイトールさんとは2年前にマドリードのキャラバンイベントでお会いしたのが最初。その際、スペインの4人のアーティストにマドリードをテーマに絵を描いてもらい、その作品を表紙に印刷したオリジナルリフィルを作った。アイトールさんは、その一人として、ピンクを基調とした独特の優しいタッチで、物憂げな表情をした少年とともに、マドリードの象徴的な建物や風景を描いてくれた。
写真で見ると、髭をたくわえ両腕に刺青がたっぷり入っていて強面な印象だったけれど、実際にお会いすると、優しい表情のとても気さくな方で安心したのを覚えている。嬉しいことに、何年も前からずっとトラベラーズノートを愛用してくれていて、作品のアイデアから資料のスクラップ、日記などが記されたたくさんのリフィルを僕らに見せてくれた。
そこで開催したイラストワークショップもとても素晴らしいもので、次はぜひ日本でやりましょうと、軽い気持ちで言った僕らとの約束を果たすべく、昨年末のある日、突然彼から連絡が来た。東京に遊びに行くからイベントをやろうとアイトールさんが僕らに声をかけてくれて、今回のイベントが実現した。
イラストワークショップは、まずは彼が自身のノートに対する想いを語ることからはじまった。
「ノートに向かうとうことは、自分と向かい合うことです。ノートは忘れかけていた大切な記憶を蘇らせれてくれて、心の奥にある本当の自分を教えてくれる場所です。ノートはすべてのクリエイションの起点であり、自分がしたいように自由に表現できる場所です。ノートは寛大です。あなたの想いをすべて受け入れてくれます。そこにはルールなんてものはいっさいにないし、誰かに評価されたり、裁かれたりすることもない自分だけの場所です。そしてノートはいつもあなたのそばにいて、あなたの心に寄り添ってくれる存在です」
そうなんだよな。彼の言葉を聞きながら、それが僕が思うトラベラーズノートへの想いとぴったりと符号することに胸が高鳴った。それから、アイトールさんはみんなの心に浮かんだ言葉をそれぞれのノートに書き留めるように言った。そして色鉛筆の中から好きな色を1本だけ選んでもらい、言葉のイメージをノートに描いてみてくださいと伝えた。
実はイベントの前日は、母親の葬儀だった。そのちょうど一週間前、母親は2年ほどの入院生活の後、ロウソクの火が消えるように静かに息をひきとっていた。そんな出来事の直後のイベントは、僕にとっては、家でじっとしているよりはむしろありがたいものであったし、アイトールさんの言葉も心にじんわりと響いた。
アイトールさんは、このワークショップでは、何をどう描くかを頭で考えるのではなく、心の奥からに浮かんできたイメージをそのまま描くよう、強調して言った。この時に僕の心に浮かんだのは、出棺の際に色とりどりの花で飾られた母親の姿だった。母親は明るく天真爛漫な性格で、子供の頃は小柄でかわいらしかったその姿が密かに自慢だったことを思い出した。僕は、普段はほとんど使うことがないピンクの色鉛筆を手にとり、ひっそりとトラベラーズノートにそのイメージを描いた。
世界には、たくさんのルールがある。本来ルールは、さまざまな価値観を持つ人がひとつの共同体で仲良く暮らしていくためにあるべきものなのに、ルールを守ることに固執することで、個人の事情や気持ちに目を向けることを忘れてしまうこともある。評価をしたり、効率性を追求することは、共同体が前に進んでいく上で、必要なことなのかもしれないけれど、それらを求め過ぎると世界は息苦しくなりバランスを失ってしまう。
そうじゃなくても日々の暮らしの中には、答えを見つけることができない問題にどうしようもできない悲しみもたくさんある。だからこそ僕らには、社会的なルールや効率性、評価、日々のフラストレーションから離れて、ひとり自由に手足を伸ばし、ゆっくり深呼吸をしながら、心のバランスを穏やかに回復できるような場所が必要なんだと思う。
ノートはそんな場所を与えてくれる大切な存在だということにあらためて気付かされた。ノートは寛大で優しく温かい。まるで母親みたいだな。
みんな絵を描き終えると、それぞれ自分が描いた絵についてお話をしてワークショップが終わった。絵を描いた後の皆さんの表情が、どこか晴々としているのが印象的だった。僕もまた胸のつかえが少し取れたような気分になっていた。
アイトール・サライバさんの展示会は、2月12日までトラベラーズファクトリー中目黒で開催していますので、ぜひご覧ください。