2020年4月 6日

『深夜特急』で心の旅を

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ちょっとしたきっかけで、沢木耕太郎氏の『深夜特急』を久しぶりに再読している。旅に出ることが憚られるこの時期に、本を読みながら想像の中で香港からロンドンまでの壮大な旅をすることで、予期せずできた時間の空白を埋めるのも悪くないと思った。
 
『深夜特急』を最初に知ったのは今から30年前。学生時代、ひとり旅で訪れたタイの小さな島でのことだった。バンコクから寝台列車とフェリーを乗り継ぎ、島に着くと、砂浜沿いのバンガローを部屋にしたゲストハウスに宿をとった。
 
バンガローと呼ぶにはあまりにお粗末な狭くて埃っぽい壊れかけの小屋だったけれど、目の前がすぐ海なのが嬉しかった。夕食のためにその隣にあるレストランに行くと、ちょうど席につこうとしていた二人組の日本人の女性がいた。他に日本人は誰もいない。ふと目があうと、自然に一緒に夕食を食べることになった。バックパッカーのひとり旅では、旅先で出会った人と夕食をともにすることはよくあることだった。
 
広告代理店でデザイナーをしているという彼女たちは、長期休暇のたびにアジア周辺を旅しているとのこと。タイ料理をつまみにお酒を飲みながら、就職先が決まって残り少ない学生時代を過ごす僕に、社会人の心得を優しく諭してくれた。そして、半年前にインドを旅してからすっかりバックパックの旅にはまっていた僕に、おすすめの本として紹介してくれたのが、『深夜特急』だった。
 
日本に帰ると、早速『深夜特急』の第一便と第二便を手に入れた。ちなみに旅の終わりまでを記した第三便が出版されたのは、就職した後のことで、第二便の出版から6年のブランクを要している。
 
深夜特急の旅は、著者の沢木氏が、デリーからロンドンまで乗合バスを乗り継いで旅をしようと思いつくことからはじまる。そして成田発デリー行きの飛行機のチケットを手に入れる時、デリーへのフライトの途中、二カ所でストップオーバーできることを知る。そこで著者は、香港とバンコクを経由して旅を進めることにし、香港から旅がはじまる。重慶大厦の妖しい安宿、スターフェリーによる心地よい船旅、路上にあふれる屋台、旅の好奇心に溢れた瑞々しい筆致で書かれた旅行記を貪るように読みながら、僕もまた著者と同じように香港の風景に魅了されていった。
 
その後、学生時代最後の旅先としてトルコを訪れる際、ストップオーバーで香港に立ち寄ることにしたのは、『深夜特急』の影響だった。その時は初めての香港にもかかわらず、氏に倣いガイドブックを持たず、『深夜特急』の記憶だけを頼りに旅をすることにした。

空港を出て最初の行き先は、もちろん重慶大厦。飛行機で隣あわせた日本人の男性にそんな話をすると、迎えの車があるからその重慶大厦まで送りますよ、と声をかけてくれた。外に出ると、香港人らしき女の子が待っていて、久しぶりの再会を喜ぶように彼に抱きついた。僕は邪魔者のような気分になって、遠慮がちに車の後部座席に座った。 

当時の空港は、ビル群の隙間を降りていく啓徳空港だったから、重慶大厦まではそれほど時間はかからなかった。車を降りると、重慶大厦の前にいたホテルの客引きに導かれるようにビルの中へ入った。
 
『深夜特急』では、沢木氏は、啓徳空港で日本人の女性に声をかけられ、彼女を迎えに来ていた香港男性の車に乗り重慶大厦まで行く。男女は逆だけど、『深夜特急』を読みながらそんなちょっとした旅の符合を思い出してにやりとした。香港滞在中、僕は『深夜特急』の旅をなぞるように、ソフトクリームを食べながらスターフェリーに乗り「六十セントの豪華な航海」を何度も楽しみ、露店が連なり「毎日が祭り」のような路地を歩き回った。
 
そして香港の魅力にすっかりはまっていった。あのソフトクリームは「ミスター・ソフティ」だったんだ。僕はふと思い出した。その後、トラベラーズノートを作ることなり、スターフェリーとミスターソフティという「六十セントの豪華な航海」セットの両方とコラボレーションをすることになったんだな。あのときは想像すらできなかったけど、『深夜特急』の旅が今に繋がっていることにあらためて感動した。いつかまた香港へ行って、六十セントの豪華な航海をしてみたいな。
 
僕は『深夜特急』を読み、著者の旅を想像の中で体験しながら、同時に自らのかつての旅を追体験していた。そして旅にでることができない心の渇望が少し癒されたような気持ちになった。
 
皆さまもくれぐれも体調にお気をつけて、想像の旅を楽しんだりして、日々を心穏やかにお過ごしください。

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