魅惑の体重計
学生時代だからもう30年以上前のこと。
はじめての海外旅行としてインドへ行った時、いろいろなことに衝撃を受けたんだけど、そのひとつにインドの人たちの商魂のたくましさがあった。三輪タクシーやリクシャーからはじまり、日々のちょっとした買い物からホテルまでいちいち価格交渉をしなければいけない。最初は面白がってやっていたけれど、毎度のことでいいかげん疲れてくるのだ。
広場や公園で静かにくつろごうとすると、ピーヒャララと笛を吹きながら笛はいらないかと笛売りが近寄ってきたり、耳掻きはどうだとおじさんが声をかけてきたりする。特に耳掻き屋はしつこくて、日本人もたくさんやっているぞ、と汚れたノートを見せてくれるのだけど、そこには「気持ちよかったです」といった感想とあわせて「ボラれるから注意した方がいい」という警告も日本語で書かれている。いずれにしても、耳掻きも笛もさしあたり興味も必要ないのに、いちいちしつこく声をかけられるから、落ち着いてゆっくりできない。
そんな中、小さな体重計を路上に置き、その横に座っている老人がいた。老人の前に置かれた紙に小額だけど金額が書かれているので、どうやら体重を測ってお金をもらうということを商売にしているらしい。他の人と違って声を上げて売り込むこともなく静かに黙って座っているのが印象的だった。笛みたいに何かモノを売るわけではないし、置いてあるのは、特別な機能があるわけでもなく普通の家にあるような、そのうえ汚い体重計でたいした資本投資が必要でもない。
耳掻きだってちょっとした手間や技術が必要だと思うと、この体重測りというのは、あらゆることが商売になるインドでも成り立つようには思えなかった。そもそもお金を払ってまで体重を測る必要ってあるのかなあ、なんてことを思っていたある時、インドの駅で不思議な体重計を見つけた。コインの投入口がついた、ゲームセンターにありそうな派手な装飾がされた機械の前には人が乗るステップがある。
なんだろうと思い、バックパックを背負ったままステップに乗ってコインを入れてみた。すると派手な電飾がピカピカと光り、ガチャンと音がすると、受け取り口から硬券切符のようなチケットに体重が刻印されて出てきた。ただ体重を測るだけのためには、不釣り合いな大袈裟な一連の流れに、バカバカしさとともにちょっとした感動を覚えたのを覚えている。ちなみにその時の体重が刻印された硬券は今でも持っていて、トラベラーズファクトリー中目黒の階段脇にフレームに入れて飾ってある。
それから再び自動販売機型体重計を見たのは、今から10年ほど前の香港だった。それはレトロな内装が特徴の雑貨屋の入り口にディスプレイのように置かれてあった。インドで見たものよりもシンプルなデザインだったけど懐かしさに感動し、思わずステップにのってコインを入れた。するとインドの時と同じように体重計が刻印された硬券が出てきた。香港の友人、パトリックに聞いてみると、香港でも昔は映画館や劇場など人が集まる場所にこのような体重計がよく設置されていたとのことだった。中目黒にトラベラーズファクトリーができる際、「あの体重計を店に置きたいんだけど見つかるかな」と彼に頼んでみたけれど、結局その時は見つけることができなかった。
それからまた時を経て、昨年のこと。香港でトラベラーズのイベントをするに際に、会場にあの体重計を設置することになったとパトリックが伝えてくれた。しかも硬券チケットはコラボレーションによるオリジナルデザインができると言った。香港のイベント会場で、この体重計にのってコインを入れた時は、30年前の記憶も蘇って喜んだのを覚えている。
そしてトラベラーズファクトリー京都をオープンすることを知った時、パトリックが香港のオーナーと話をして、体重計を船便で送り、店に設置できるようにかけあってくれたのだ。4月の搬入時にトラックに積まれて晴れて香港から届いた時、あまりの重さにびっくりした。搬入口から店内までは台車ののせているのに、六人がかりで運ばなくてはならなかった。
そんなわけで、トラベラーズファクトリー京都の中央には、香港の古い体重計が設置されている。このために橋本が京都をモチーフにしたデザインしたオリジナルのチケットも用意してある。何十年も前の古い機械がはるばる海を超えて京都までやってきたせいで、まだ気分良く動いてくれない時もあるけど、京都の店長たちが必死で調整してくれるので、オープン時にはたぶんうまく動いてくれると思います。そう祈っています。
正直に言うと、お金を払ってまで体重を測る必要があるのかという素朴な疑問はいまだに解決はしていないのですが、それはそれとして体重計にのり、コインを入れて、ガチャンと硬券が出てきた時はやっぱり感動します。30年前のインドから10年前の香港、そして、2020年の京都に繋がるこの魅惑の体重計、いつか安心して京都を旅することができるようになりましたら、ぜひ。