2020年8月11日

銭湯で旅ごっこをする

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会話の中やアンケートなどで、「行ってみたい旅先はどこですか?」と聞かれることがある。そんな時は、なんとなく行ってみたいと思っている場所を適当に答えるのだけれど、まだそこへ行っていないということは、どうしても行きたい場所ということでもないんだろうな、とも思ったりもする。

よくよく考えてみると、優柔不断な僕はここへ行きたいと強い意志を持って行先を決めて旅をするより、会いたい人がいるからとか、ちょっとした用事があるからとか、そんな理由で必然的に旅先が決まる方がいいと思っている。もっと言えば、風の吹くまま気の向くままに行先を決めずに旅をして、知らない駅で降りて、ただ映画を見たり、古本屋とかレコード屋を巡ったり、目に留まった喫茶店に入ってコーヒーを飲みながら本を読んだりする、というような旅に憧れている。つまりどこかへ行くというよりも旅をしている状態が好きなのだ。

まだ旅が自由にできなかった子供の頃、旅ごっこという遊びをしていた。ひとつの道をひたすらまっすぐ進んで行き、適当なところで引き返して帰ってくるだけの遊びなんだけど、迷子にならずに未知の場所に行くことができる。母親に用意してもらった水筒を肩からかけたり、途中で食べるおやつを持っていったりして、旅気分を味わいながらを知らない場所を歩くのはけっこう楽しかった。今まで訪れたことがない公園を見つけると、秘密基地を新発見したような気になって、そこでおやつを食べたり、遊んだりした。

自転車を手に入れると、旅の範囲は飛躍的に広がって旅ごっこはますます楽しくなった。はじめて東京から千葉にたどり着いた時には国境を超えたような気分になった。あの頃、ごっこ遊びをしながら、子供心に自然と旅が醸し出す高揚感とか自由な心持ちを楽しんでいた。

あれから何十年も経って予期せずやってきた自由に旅をすることが憚られる休日。近所にいくつかある銭湯を頭に浮かべて、今日はどこに行こうかと頭を悩ませる。自転車に乗って家を出ると、途中本屋に立ち寄り、お供となる本を手に入れる。暑いから喫茶店に立ち寄ってちょっと休憩。冷たいアイスコーヒーで喉を潤す。銭湯に着くと、汗を流してまずはサウナ。水風呂で体を冷やすと、縁側の脇の椅子に座り、夕暮れの庭から流れてくるそよ風を浴びながら、ゆっくり本を読む。気持ちいいなあ。

ふと子供の頃の旅ごっこを思い出して、ここが旅先だったらと想像してみた。例えば、鹿児島とか秋田のような九州や東北の地方都市を旅して、その町で見つけた銭湯に入っている。ゆっくりお風呂につかったら、番台におすすめの赤ちょうちんでも教えてもらって、そこで土地の名物をつまみに軽く一杯やりながら夕飯をとろう。それからほろ酔い気分で、新品の畳の匂いがする宿の部屋に戻る。ぱりっとノリの効いたシーツがかかった布団の上で寝っころがって読みかけの本を読んだりしながら、明日はどこへ行こうかとぼんやり考えたりする。

旅と日常の境はグラデーションがかかったようにぼんやりとして、今ここが旅先のような気がした。だけどやっぱり本当の旅をしたいなあ。そんな中、京都にまつわるちょっとした計画が進行中なので、京都を旅できない方は楽しみにしていただけると嬉しいです。

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