2020年9月23日

ひよこにならなくても

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まだ年号が昭和だった頃。家の近所に包装資材を扱う会社の倉庫があった。倉庫の裏口にはトラックが出入りするためのスロープがあって、そこには普段誰もいないから難なく忍び込むことができた。倉庫の中にはたくさんのダンボールが積み重なって置かれていて死角が多く、身を隠すことができるスペースもたくさんある。あの頃はまだセキュリティーという考え自体も今よりずっとゆるかったこともあって、その場所は必然的に小学生だった僕らの格好の遊び場になった。
 
僕とKくんは、学校が終わると倉庫に忍び込み、積み重なったダンボールをよじ登ったところにある中二階のロフトに身を潜めた。そこは埃をがぶったダンボールや油にまみれた工具などが無造作に置かれていて、ほとんど人が来ない忘れ去られたような場所だった。そして埃っぽくて薄暗い空間で、何をするという訳でもなく、折り畳んだダンボールを座布団にして座り、くだらない話をしたり、漫画を読んだりして小さな冒険心を満たしていた。
 
ある日、ふとあるアイデアを思いつき、家の冷蔵庫の中から卵を1つ取り出して、Kくんと倉庫へ行った。卵を割らないように注意深く手に持ち、いつものロフトへよじ登っていくと、小さめのダンボールを組み立てた。その中にくしゃくしゃにちぎった新聞紙を敷き詰めて、最後に卵をぽんと置いた。卵をかえして雛にしようと思ったのだ。なんでそんなことを思いついたのかはぜんぜん覚えていないけど、Kくんも僕のその思いつきにとても興奮してくれて、二人でワクワクしながらダンボールの中の卵を交代で握ったり、さすったりして温めた。
 
3日ほど経ち、いっこうに卵に変化の兆しも感じられないと、温め方が足りないのかと思い、近所の材木加工所からおがくずをもらって、ダンボールの中にたっぷりと流し込んでみた。卵を入れると、新聞紙だけの時よりはだいぶ温かいような気がした。僕らはおがくずの中に手をつっこんで卵を握った。

「これなら、にわとりのお腹みたいに温かいよ」「ひよこになりそうだね」そんなことを言いながら、暗くなるまで交代で手を入れて卵を温めると家に帰った。
 
次の日、おがくず効果で卵に変化があるかもしれないと、期待しながら倉庫へ向かった。いつものように積み重なったダンボールをよじ登りロフトに行くと、昨日まであった埃にまみれたダンボールや無造作に転がっていた工具が片付けられ、様子がすっかり変わっていた。僕らはあわてて卵が入った小さなダンボールを探したが、どこにもそれは見当たらなかった。さらに追い討ちをかけるように下の方から「こらー、降りてこい!」という声が聞こえた。
 
僕らはドキドキしながら降りると、倉庫の人の前に立たされて、「おまえたちもう二度と入っちゃだめぞ。さあ、早く帰りな」と諭すように言われた。僕らは卵のことを聞きたかったけど言い出すこともできず、いそいそと倉庫の外へ出た。そして、お互い言葉を交わすこともなく、沈んだ気持ちでそれぞれの家へ帰っていった。
 
その倉庫で遊んだ記憶はそこで途絶えている。倉庫に人にしっかり顔を覚えられたからなのか、裏口の監視が厳しくなったからなのかは覚えていないけれど、あれから僕らは倉庫に忍び込むことをやめてしまった。そして、中学生になる頃には、倉庫は駐車場に変わり、食用として販売している卵は無精卵でどんなに温めても雛にかえることはないということも知った。
 
だけど、いつかひよこになるかもしれないと、ワクワクしながら卵を温めていたあの時間は楽しかったな。今になって考えると、あのときに卵がかえり、雛になってしまっていたら、きっと僕らの手に負えなくなって、ちょっとした悲劇になってしまったはずだから、あれはあれで良かったのかもしれない。
 
さて、ダイアリー2021の発売とあわせて今年も年に一度しか発行しないフリーペーパー、TRAVELER'S TIMESをリリースしました。トラベラーズノートの販売店やトラベラーズファクトリーで配布していますので、見つけたらぜひ手にとってみてください。

トラベラーズの新聞があったら楽しいそうだなとの思いつきではじまったこのフリーペーパーも今回で15号となった。わずか8ページの紙面作りは、毎年それなりに苦労があるけど、楽しい作業でもある。さしたる戦略もなく、ただトラベラーズの世界を広げたいとの想いで15号まで作り続けているのは、あの頃、無精卵を温めていた行為に似ているような気がしないでもないけど、それでもそれを飽きることなく15年に渡り、地道に楽しみながら続けているのは誇ってもいいことなのかもしれないとも思ったりもする。
 
今でも流山工場へ行って、ダンボールが並んだ倉庫の匂いをかぐと、ふとあの時のことを思い出すことがある。トラベラーズタイムズは、15年前の1号からずっと流山工場で印刷され、倉庫に置かれてから出荷し続けている。僕らがここで大切に温め続けている卵は、雛にかえることはないかもしれないけど、茹でたり、焼いたりして食べて、少しでもお腹の足しにでもしてもらえたら嬉しいです。
 
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