2020年10月26日

映画づくしの日

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先日のライブの際に山田稔明さんにおすすめされた『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』を観ようと新宿シネマカリテまで自転車で行った。そうしたらちょうど前から気になっていた『メイキング・オブ・モータウン』もやっていたので、もう今日は映画づくしの1日にしようと決めて、久しぶりにダブルヘッダーで観ることにした。
 
『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は、タイトルの通り、サンフランシスコが舞台の映画。4年前に一度だけ行ったことがあるサンフランシスコの旅の記憶は、今でも鮮明に残っている。たった2日間だけの滞在だったから、トラベラーズノートを扱うお店をめぐるだけでほとんどの時間が費やさせてしまったのだけど、それでもその合間に、ずらりとZineが並ぶ書店に、びっくりするような品揃えのレコード屋を覗いたりしながら、かつてこの地がビートカルチャーやフラワームーブメントなどの発信基地だったことに思いを馳せてワクワクしたのを思い出す。坂道が多い街をサイドブレーキを駆使して車で運転しながら眺めた、ヴィクトリア朝の優雅な建物が並ぶ風景も印象的だった。
 
昨今、サンフランシスコは、IT企業が集まるシリコンバレーが近いこともあって全米有数の平均収入が高い街になっている。それゆえ家賃も高騰し、昔からこの地で暮らす人の中には、住む場所を追われ、車で暮らしたり、ホームレスになる人も増えているとのこと。
 
この映画は、かつて住んでいたヴォクトリア朝の家への憧れを捨てきれないジミーとその友人モントの決して豊かとは言えない暮らしを描いている。サンフランシスコの坂道をスケボーで疾走したり、ステンドグラスから太陽の光が差す家の風景など、どこか郷愁を誘うような美しいシーンが続く中、特に印象的だったのが、主人公の友人モントがいつもノートを持ち歩いていたところ。
 
昔、魚屋だった僕の父親が、築地の市場に行くとき、買い付けのためのお金が入った革のポーチをお腹の上からズボンに突っ込んでいたのと同じように、彼も赤いノートをズボンの中に入れて持ち歩く。そして、何かあるとノートを取り出し、スケッチをしたり、詩を書いたりしている。モントは普段は魚屋で働いていて(ズボンに持ち物を突っ込むのは魚屋の流儀なのかは知らないけど)アートとは無縁の仕事をしているのだけど、彼にとってノートに何かを表現することは日常の欠かせない一部となっている。
 
僕の好きな映画のひとつ、ジム・ジャームッシュの『パターソン』もまた普通の人が日常でノートに詩を書く姿を描いた映画だったけど、僕もまたノートをいつも持ち歩くひとりとして、その意義を描く映画にはそれだけで共感をしてしまう。機会があればぜひご覧になってほしい映画です。
 
もう1本は『メイキング・オブ・モータウン』。こちらはスプリームスやテンプテーションズ、スティービー・ワンダー、マービン・ゲイなどを産んだ、アメリカ、デトロイトの音楽レーベル、モータウンの歴史を綴ったドキュメンタリー。
 
モータウンの創設者ベリー・ゴーディは、かつてフォードの自動車工場で働いていたことがあり、その生産管理システムを音楽に活かしたり、モータウンサウンドと呼ばれる独特のリズムは、工場の音から着想を得ていた、というような面白いエピソードが満載で、あっという間の2時間だった。
 
なによりワクワクしたのは創設当時のこと。ヒッツビルと呼ばれる2階建ての小さな一軒家にシンガーやソングライター、ミュージシャンが集まってひとつのチームとして、自分たちが本当に良いと思える音楽を自分たちの手で音楽をつくりあげていく。良いフレーズを思いついたら、真夜中でもみんなで集まってその場で曲に仕上げてしまう。
 
ある日、ニューヨークのレコーディングスタジオがモータウンの音響の秘訣を探ろうとやってきて、どんな機材でこのクリアを音を作っているんだ?と聞かれると、バスルームで録音しているだけだよと答えたというエピソードが物語るように、シンプルなアイデアで高価な機材を凌駕するような音を作ってしまう。まだ黒人差別が強く残る南部をツアーした時、警察が客席を白人と黒人を分けようとする中で彼らの演奏がはじまると、白人も黒人も入り混じって踊って、その場では差別がなくなってしまうというエピソードも痛快だ。音楽の力でアメリカを変え、さらに世界中に影響を与えていく姿はやっぱりワクワクする。
 
映画を見終わると、外はすっかり暗くなっていた。久しぶりにベルクでホットドッグを食べて軽くお腹を満たし、コーヒーを飲みながら、映画の余韻に浸るとなんだか心も満たされたような気分になった。いやぁ、映画って本当にいいもんですね。
 
『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』
『メイキング・オブ・モータウン』
 
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