レコードは死なず
中学生の頃、レコードを買う時は、秋葉原の石丸電気レコード館と決めていた。
自転車を20分ほど走らせ、秋葉原の電気街のはずれにあるその店に着くと、自転車を止めてワクワクしながら店内に入る。4階建てだったか5階建てだったか忘れたけど、ビル全部がレコード専門店になっていて、なにより品揃えが圧倒的だった。
たいていの場合、買うレコードはすでに決まっているのだけど、在庫があることを確認したら、すぐにそれを手に取らず、焦らすように、ゆっくり他のレコード棚をチェックする。ここには当時はまだ珍しかった輸入版レコードもたくさんあって、どうしてわざわざ海外から運んできたレコードの方が日本でプレスしたものより安いのか、不思議に思った。
そして、いよいよレコードを手にレジに行く。その時にレジカウンターの上にずらりと並んだレコードの販促品として作られたポスターやステッカー、バッジなどの見本に目を向ける。レコードを買うと、これらのノベルティの中から好きな物をひとつもらえるというのがここの特徴であり、僕がここでレコードを購入する一番の理由でもあった。
レコード会社と特別なコネクションがあるのか、ここでは他の店にないノベルティが手に入ったし、買ったレコードとは違うアーティストのものでも選ぶことができた。そして、ベートーベンやモーツァルトから、マイルス・ディビス、プレスリー、ビートルズ、ボブ・ディランにオリビア・ニュートンジョンまで新旧のミュージシャンたちのイラストが描かれたレコード用のビニールバッグも好きだった。
中学1年生の頃、リリースされたばかりの『ジョン・レノン・コレクション』を買った時は、ベッドの上でギターを弾くジョン・レノンのポスターをもらって、部屋に飾った。
なぜかこの日のことはよく覚えていて、レコードを買った帰りに肉の万世で肉味噌ラーメンを食べたことまで記憶にある。あの頃の僕にとってレコードを買うということは、記憶に刻まれるくらい大きな出来事であり、思い切った投資でもあった。この日手に入れた、『平和を我らに』からはじまるジョン・レノンのこのベスト盤は、その後まさに擦り切れるくらい聴いたし、自分の価値観とか人生観を形成する上でも大いに影響を与えてくれたはずだ。
ベスト盤のことを軽く見る人もいるけど、限られた小遣いしかなかったあの頃の僕にとって名曲が詰まったベスト盤は貴重だったし、いつか大人になったら、ジョン・レノンのオリジナルアルバムを毎月1枚ずつ揃えよう、なんて思った。その後、CDだったりダウンロードだったりで、ジョン・レノンの他のアルバムを聴いたけど、今でもこのアルバムに収められている曲を聴くと、鬱屈した中学時代の気分が蘇ってくる。僕にとっての『スタンド・バイ・ミー』のオリジナルは、ジョン・レノンのバージョンだ。
さて、先週に続きブックレビューになるのだけど、『レコードは死なず』は、見つけたとき、これは読まないわけにはいかないだろうと瞬間的に思った本だった。
表紙には、クラッシュの『ロンドンコーリング』を手に取る少し髪が薄くなりかけている冴えないおじさんのイラスト。まるで俺じゃないか。帯には「若き日パンクに心酔した僕はいまでは妻子あり貯金なし、四十代半ばのフリーランサー」と書かれている。さらによく見ると小さな文字で「序文:ジェフ・トゥイーデイ(ウィルコ)」とある。我慢できず、まずはジェフの序文を立ち読みする。
母親と行ったスーパーマーケット、ターゲット見つけた『ロンドンコーリング』を買ってもらうために、ジャケットに貼られた「親への勧告・露骨な内容・野卑な言葉遣い」と書かれたステッカーを必死に剥がしてから買ってもらったとか、クリスマスプレゼントに両親にねだって買ってもらったパブリック・イメージ・リミテッドの『フラワー・オブ・ロマンス』を家族の前で流した時、父親から「こいつはいったい何だ?」と乱暴にターンテーブルから引きずり下ろされたなど、レコードにまつまるエピソードが熱く綴られてる。
分かる、分かる。小学生の頃、僕がはじめて自分の小遣いで買ったレコード、YMOの『BGM』を家のステレオでかけると、母親から「もっと明るい音楽を聴いた方がいいんじゃない?」と僕の精神状態を本気で心配したような面持ちで声をかけられたし、スネークマンショーの『戦争反対』をかけた時は、冒頭いきなりロケットの発射音とともに女性の喘ぎ声が流れてきて、家族みんなの表情が凍りついた。そして、またも母親から「まだこういうのは早いんじゃないの?」言われたという記憶がある(だけど今思ば、確かにそのアドバイスは決して間違っていなかった。その後、ヘッドフォンで何度も聴いたけど、このレコードに収録されていた下ネタ満載のギャグは小学6年の僕には半分も理解できていなかったはずだ)。
この本は、音楽の好きで冴えない中年の著者が、自分にとって大切な何かを取り戻すために、手放してしまったかつてのレコードコレクションを再び探して歩くという話だ。ただ、取り戻そうとするレコードというのが、タイトルが同じという意味だけではなく、自分が持っていたレコードそのものを探そうしているのが面白い。
例えば、序文のジェフの『ロンドンコーリング』は、「デス・オア・グローリー」が途中で必ず音が飛び、ジャケットにはシールを剥がす時についた爪の跡があると書かれているけど、まさにその音が飛び、爪の跡がついたレコードを探そうとするのだ。そんなレコード探しの旅がそれぞれのレコードに刻まれた記憶とともに語られている。
かつてレコードという存在感のあるアナログの物体とともにあった音楽は、CDの登場とともに物としての存在感を薄め、今や音楽データといういっさいの物体を伴わない存在となった。
そもそも音楽というものは、触ることができない空気のような存在なのだけど、アナログレコードという物体があることで、深く記憶に刻まれ、人生の相棒として共に変化し味わいが増していくのかもしれない。そんなことを思い出させてくれる素敵な本だった。
ちなみに思春期の頃に手に入れた僕のささやかなレコードコレクションは、なぜか時を経るごとに間引きされていき、擦り切れるほど聴いた『ジョン・レノン・コレクション』も手元にない。だれど、はじめて買った『YMO/BGM』と今はなき石丸電気の輸入盤コーナーで買ったビートルズの『サージェントペパーズ』は、ファクトリーの2階に無造作に置かれている。
話が変わりますが、2月25日の夕方、3月にリリースするトラベラーズノートの新しい商品の情報を公式サイトにアップします。さりげなくレコード愛も注入しています。みなさま、ぜひ楽しみにしてくださいね。