『TOVE/トーベ』
ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンを描いた映画『TOVE/トーベ』を観た。
ムーミンといえば、ちょっと前までは幼い頃にテレビの再放送で観たアニメの印象くらいしかなく、井上ひさし氏作詞のテーマソングや岸田今日子さんの寂しげなトーンのムーミンの声がぼんやり記憶に残っている程度だった。今回のコラボレーションをきっかけに改めて小説版ムーミンを読んでみると、ほのぼのした子供向けの物語という雰囲気を装いながら、皮肉や社会風刺、哲学的な言葉が随所に散りばめられ、宮澤賢治の童話のように大人が読んでも楽しめる文学性を備えていることに気づいた。
映画を観ると作者であるトーベ・ヤンソンもまた、北欧フィンランドの緑あふれる田舎に暮らすほのぼのした子供好きの優しい女性なんかではなく、大酒飲みでヘビースモーカー、自由で情熱的な気性の激しい女性として描かれている。父親は著名な彫刻家で、自身も画家を目指していたトーベは、保守的な考えの父親と対立して家を出る。古いアパートをアトリエにして暮らしながら、絵を描くもののなかなか評価もされず生活も厳しい。そんな中、本格的な絵を描く合間にくわえタバコで紙の切れ端に描いていた落書きのようなものがムーミンの原型になる。
その不思議なキャラクターの多くは家族や周囲の人たちをモデルに描いている。例えばスナフキンは、彼女が長年付き合っていた恋人のアトスという政治家がモデルになっている。もともと彼には奥さんがいたのだけど、トーベはそんなことも気にせず積極的にアプローチをして交際をはじめる。アトスは、リベラルな左翼系の政治家で自由を守るために権力に対抗する人だったようで、ものに執着することを嫌い、孤独と自由を愛する旅人スナフキンのセリフや行動は、彼の影響から生まれている。また、旅に出ているスナフキンの帰りを心待ちにしその不在を寂しがるムーミンは、まさにアトスが家族の元にいて会えないときのトーベの気持ちを表しているとも思える。
その後、アトスは妻と正式に離婚した上で、結婚を申し込むと、トーベは別に好きな人がいて結婚できないと言う。しかもその相手は女性。さらに、トーベが愛した市長の娘で舞台演出家のヴィヴィカは、旦那と子供がいる既婚者でもある。トーベは、彼女から女性同士の恋愛を教えられ、その深みにはまっていく。ムーミンに、自分たちだけにしか分からない言葉で話すというトフスランとビフスランというキャラクターが登場するのだけど、これは、当時はまだ同性愛が違法だったこともあり、トーベとヴィヴィカがお互いにしか通じない暗号のような言葉で連絡をしていたことから来ている。
こんな感じで、情熱的かつ不穏な恋愛を続ける中でその影響をたっぷり受けながら、トーベはムーミンを描き、物語を作り込んでいく。映画を観た後でムーミンの本を読み返してみると、不思議なキャラクターたちの言葉や行動に対する作者の意図が想像しやすくなり、新しい見方を発見しより理解を深められるかもしれないと思った。
とりあえず映画を観た後に、『ムーミン谷の彗星』を読んでみた。この作品は小説版のムーミンで初期の作品にあたり、ムーミンとスナフキンが初めて出会う物語でもある。
ムーミン谷に大雨が降り、恐ろしい彗星が向かってきているということで、ムーミンはどこか頼りないスニフと一緒に天文台を目指して冒険の旅にでる。この彗星は、第二次大戦におけるフィンランドの戦争の脅威とも、日本に落とされた原爆のメタファーとも言われているけれど、今読むと、彗星が近づくにつれて空が熱くなり、海が枯れていく様は地球温暖化を予言しているとも言えなくない。その旅の途中で、スナフキンと出会うとすぐに尊敬の念を抱き、旅がどんどんワクワクと楽しいものに変わっていく。どんどん彗星が近づき、不穏な空気が流れてもスナフキンは冷静沈着で不安なムーミンを勇気づけてくれるのだ。
キラキラした物が大好きで欲張りなスニフが、谷底にあった宝石を取ることができずに悔んでいると「なんでも自分のものにして持って帰ろうとすると、むずかしくなっちゃうんだよ。ぼくは見るだけにしているんだ。そして立ち去るときには、頭の中へしまっておく。ぼくはそれで、持ち歩くよりも、ずっとたのしいね」スナフキンはそう言ってスニフを諌め、ムーミンの持つ磁石の針がくるくる回って方向を示さなくなってしまうと、「ぼくはたちは本能にしたがって歩くのがいいんだ。ぼくは磁石なんて信用したことがないね。磁石は方向にたいする人間の自然な感覚をくるわせるだけさ」と哲学的な示唆を与えてくれる言葉で答える。
僕と同じように、ムーミンについてあまり詳しくない方こそ、ぜひあらためて小説を読んでみてみるのをおすすめします。
映画『TOVE/トーベ』オフィシャルサイト