2023年はトラベラーズカフェで
もうご覧いただいた方もいらっしゃると思いますが、先週、トラベラーズノート2023ダイアリーの情報を公式サイトにアップしています。
ダイアリーには、毎年デザインテーマを設けているのですが、2023年版は僕らが考える架空のカフェ、トラベラーズカフェがテーマになっています。今年4月にトラベラーズエアラインやトラベラーズホテルなどをテーマにした限定セットをリリースしているので、その流れでトラベラーズカフェになったということもあるのですが、カフェをテーマにしようと思った理由はもうひとつあります。
そろそろテーマを決めようとしていた頃は、コロナも収束が見えて、そろそろ旅ができそうな空気が漂い始めた頃でもありました。だけどその一方で、ウクライナでは戦争が始まり、一気に世界は不穏な空気に包まれました。日本でも戦争の危機みたいなことがまことしやかにささやかれ、核武装や憲法9条改正を訴える声まで聞こえてきてしまうほどでした。インターネットでは、嘘と本当が混ざりながら、考えや立場が違う人同士の対立を煽るような情報がたくさん発信されていました。戦争で住む場所を奪われ、家族を失う人がいる中で、小さな声を力でねじ伏せようとしたり、極論を押し通そうとしたり、誠実さのかけらもない言葉を平気で口にしたりする人がいます。
あれから数ヶ月経った今、コロナの感染者数はまた増え始めて、戦争は終息の気配すらなく、ニュースを見ても心が荒むような情報ばかりです。そんなときこそ、優しく穏やかな気持ちで日々を過ごすことが大事なんじゃないかと考えたのが最初のきっかけでした。心地よい空間でお気に入りの音楽でも聴きながら、おいしいコーヒーを飲んで、ノートに向かえば、それだけで心は平和な気持ちに満たされます。トラベラーズカフェをテーマに決めたのは、2023年こそをカフェで過ごすように心穏やかに送れるといいな、という思いからでした。すごく遠回しで分かりづらいかもしれないけれど、そこに僕らなりの平和への願いをこめたかったのです。
ここまで書いていて、昔訪れたカフェで見た光景をふと思い出しました。
12年前にオートバイで松本を旅したときに、まるも旅館という宿に泊まりました。100年以上前からある蔵造りの建物を利用した質素だけど素敵な旅館で、カフェを併設していました。旅館で朝食をいただくと、僕は部屋に荷物を置いたままそのカフェに行き、コーヒーを飲んでいました。
すると、80歳は過ぎていると思われる老婦人とその娘らしき女性が店内に入ってきました。娘に支えられながらゆっくり老婦人が席に座り、しばらくするとモーニングセットが運ばれました。店内には低い音量でクラシックが流れ、長い間使い込まれ美しく黒光りする松本民芸家具の椅子やテーブルが並んでいます。
二人はほとんど言葉を交わすこともないけれど、さりげなくお互いを気遣っているようで、温かくて親密な関係であることが分かります。老婦人は、上品な手つきで一口サイズにパンをちぎりながら、ゆっくり口に運び、その合間にコーヒーを飲んでいました。そんな姿から、きっと二人は毎日ここで朝食を取ることを日課にしているのだろうと思いました。穏やかで落ち着いていて、その佇まいには気品を感じることがでました。僕は旅人として、居心地の良いカフェでの優雅なひとときを満喫しながら、それを日常にしている二人をとても羨ましく思いました。とくにそんな風に人生の晩年を迎えている老婦人には、憧れの気持ちすら抱きました。
「ときに人生は、単に一杯のコーヒーがもたらす親密さの問題」というリチャード・ブローティガンの言葉を2023ダイアリーの紹介ページに書いています。
この老婦人がどんな人生を歩んできたのか、なんてことは僕にはまったく分かりません。年齢的に戦争も経験しているだろうし、それなりに波瀾万丈な人生だったことは想像できます。だけど、穏やかな表情で一杯のコーヒーを味わっている姿を見ていたら、それだけで彼女はきっと幸せな人生だったんだろうと思えたのです。たまたま同じ時間に同じカフェにいただけで言葉を交わしたわけでもない僕に、本当のことが分かるはずもありません。ただ、コーヒーやカフェにはそんな風に思わせてくれる不思議な力があるのです。
トラベラーズカフェがどこにあって、どんな場所なのかは分かりません。だけど例えば、そこでノートに向かいながら一杯のコーヒーを飲むだけで、心が平和な気分に満たされ、まあいろいろあるけど生きていくのも捨てたもんじゃないかな、と思える場所だったらいいなと考えました。だから、トラベラーズカフェはどこか特定の場所ではなくて、トラベラーズノートに向かいながらコーヒーを飲めば、どこだってトラベラーズカフェになってしまう。そういうことにしてみました。
そして、2023年こそ、戦争もなくなって、誰もが異なるさまざまな価値観の存在を認められるような世界になればいいな。