『ドライブイン探訪』
夏のあいだ履いていなかった靴下を久しぶりに履いたと書いたのはついこの前なのに、先週あたりから急に寒さを感じるようになって、朝、自転車に乗るときに手袋をはめるようになった。
手袋をしただけで寒さがやわらいで、体全体が温かくなってきたような気がする。ひんやりする風を浴びながら自転車を漕ぎ、手袋の温かさにほっとするのと同時に、今年は夏から秋を通り越していきなり冬に突入してしまったみたいだと思った。
夏が好きな僕にとって、この季節の移り変わる時期が苦手で、ぼんやりと寂しさがこみ上げて気持ちが塞ぎ込みがちで、ひどいと、もう何もかも捨ててどこかに旅立ちたくなってしてしまったりする(もちろんしないけど)。
この日も仕事帰りに自転車に乗りながら、ついつまらないことを考えて、心が鬱蒼とした影に包まれてしまいそうになってしまった。そこで精神安定剤を服用するように、思春期の頃からきっと千回以上は聴いていて、1曲目から最後の曲の終わりまで、すっかり頭に入っているお気に入りのアルバムをiPhoneのライブラリーから探してプレイボタンを押した。
イントロのベースラインにあわせて口ずさみ、歌が始まると、歌詞は英語だから適当だけど、それでも声に出して歌いながら自転車を漕ぐ。A面が終わりB面の1曲目が始まる頃には、胃の辺りにどんよりと重くのしかっていたものが少し軽くなったような気がした。アルバム後半の多幸感に満ちたグルーブに浸ることができたら、とりあえず大丈夫だ。さらに銭湯に立ち寄ってから帰ることを決めて、1時間ほどサウナやお湯に入ると、だいぶ気持ちも穏やかに落ち着いてきた。それで心が完全に晴れるわけではないけれど、きっとみんないろいろ工夫してやり繰りしながら、騙し騙しやっているんだろうな。
自転車に乗ることも心の平穏に役に立っているような気がする。最近、タイヤを新調して、伸びていたチェーンも交換してもらって、トラベラーズバイクの走りは快調なので、寒さに負けずもう少し自転車通勤も続けていきたい。
話は変わるけど、最近読んだ『ドライブイン探訪』という本が面白かった。国道沿いにあるような個人経営のドライブインは、1960〜70年代以降のモータリゼーションの発展とともに急激に増えてきたけど、その後、高速道路ができたり、全国チェーンのファミリーレストランやファストフードの店が増えたりしたことなどが影響して、最近その数を減らしている。
そんな中、今も現存するドライブインを、著者が丁寧に取材し、それぞれの歴史とともに綴っている。現存するといっても、この本で紹介しているドライブインは、今ではご主人も亡くなり、老齢のお母さんが一人で切り盛りしているようなところが多く、あと10年もすれば廃業してしまいそうなところばかりだ。
そういえば、トラベラーズバイクでの日本一周の旅で東北の国道をずっと走ってきたけれど、かつてドライブインだった廃墟のような建物をいくつか見た。最近は、広大な駐車場に休憩所やレストラン、土産屋などを備えた道の駅が国道沿いの要所に造られ、賑わっているけれど、そのことも個人経営のドライブインが減っていることの要因のひとつになっているのかもしれない。
かつて、営業として車で東北をまわっていた頃は、ドライブインによく立ち寄っていた。当時、担当していた秋田から家のある仙台に帰るときは、横手の先のドライブインで夕食をとるのを習慣にしていた。そこが特別おいしかったというわけではないけど、たいてい通りがかかる時間が夕食時だったことや、その先は峠道でしばらく食べる場所がなかったこともあり、月に一度はそこに立ち寄っていた。特に雪の季節は、峠道を走るのにかなりの緊張が強いられることもあって、まずはここで腹ごしらえをして、英気を養うのが大事だった。
まだネットがなかったあの時代は、情報に溢れた今より、みんなのんびりしていて、旅をしていても、食事で失敗したくないから地元で人気の名物料理店をチェック、なんてことをする人はそれほどいなくて、目立った特徴がなくても、まあまあおいしければそれなりに満足していたような気がする(当時はB級グルメという言葉もなく、今では有名な横手や富士宮の焼きそばも僕が営業で通っていた頃は、その存在すら知らなかった)。
平日の夜のそのドライブインは、いつも長距離トラックの運転者や、僕と同じような仕事から帰る途中の営業マンらしきお客さんが2、3人しかいなくて、けだるく寂しげな雰囲気が漂っていたけれど、それが逆にエドワードホッパーの絵のような、旅の孤独や郷愁を感じさせてくれてけっこう気に入っていた。アメリカで言えば、さしずめあまり人が住んでいない田舎町にある寂れたダイナーみたいな場所なのかもしれない。
だいたい僕は、寂しさで心が塞ぎ込む傾向があるくせに(50を過ぎたおっさんが言うことじゃない)、日の当たる賑やかな場所よりも、影があって哀愁を感じるような場所の方が落ち着くし、そういった場所につい惹かれてしまう。
『ドライブイン探訪』では、ドライブインがなくなるのを嘆くだけでなく、今も賑わっている店や、新たな店も紹介している。個人経営ゆえにそれぞれ独自の歴史と特徴があり、店主の人柄を感じることができるドライブインは、ノスタルジーを感じさせる衰退していくだけの存在ではなく、これからも必要とされる場所だと思うし、むしろより存在価値が高まっていくような気がする。
画一的で効率性を追求したチェーンのレストランや、逆に研ぎ澄まされた最高の料理を提供する場所だけではなく、壁やテーブルにシミや傷なんかがあって、肩肘はらずに気軽に入れて、すごくおいしいわけではないけれど、人の温もりを感じられるまあまあおいしいものを食べられる場所はあった方がいい。
僕らはいつも絶好調でいられるわけじゃないし、心が凹んだり、疲れてヘトヘトのときだってある。だからこそ、ちょっとラフで緩いくらいの感じで受け入れてくれる方がちょうど良いこともある。そういえばトラベラーズノートもそんな感じだ。
今年もあと2ヶ月。やり残している課題をすべて解決できる気はまったくしないけど、なんとかやりくりしたり、見て見ぬふりをしたりしながら、しのいでいきましょう。