縫ったり、削ったり、振りかけたり
会社からの帰り。恵比寿駅前を通りがかると、えびす像の前で若いカップルが自撮りで写真を撮ろうとしていた。
女の子の方が思いっきり手を伸ばして、スマホをかざしているのだけど、女の子もその隣にいる男もスマホの画面を見ながらずっと前髪をいじって、なかなか写真を撮り終わらない。二人とも垂れる前髪を何度も手で動かしながら、一番見栄えが良いと思えるバランスをさぐっている。
ずっと手をのばしているスマホを持っている女の子を気遣ってなのか、先に男の方が「もう決まったよ」という感じで、髪をいじくるのをやめたけれど、それでも女の子はまだしつこく整え続けている。その後のことが気にならないわけではなかったけど、立ち止まってまで見続けるほどのことではなく、そのまま通り過ぎて僕の視界から消えた。
僕自身は「見栄えなんか気にするほどのツラかよ」なんて思われてしまうんじゃないかと気になって、たまに写真撮影されることがあっても、あらためて髪型をチェックしたり、鏡を見るなんてことは恥ずかしくてできないし、さらに最近は髪の量が減っているせいで、「髪型なんて気にするほどの量があるのかよ」なんて思われていないかということまで気にして、ますますそんなことはできない。まあ、それはそれで自意識過剰なんだろうけど。
そういえば、5年くらい前だろうか。トラベラーズのイベントで、香港のLOG-ONに行ったときのこと。LOG-ONのスタッフより、動画を撮影したいという依頼があった。僕が何かを話すところを撮影したいと言うので、指定の場所で待っていると、4、5名の撮影チームが現れ、その中にはメイク担当までいた。メイク担当の女性は、「じゃあ、こちらへ」と言うと裏のストックルームに僕を連れていき、大きな化粧箱を開けて、僕の顔にファンデーションを塗っていく(もちろん今のところ最初で最後の経験です)。
「なんだか大げさだな」と思いながら、所在なくされるがままにしていると、彼女はおもむろに、黒いボトルを取り出し、頭の上から粉のようなものをふりかけてきた。「もしや、これは髪が薄いのを隠すためのものでは」と思いながら、メイク担当の女性を見ると、満面の笑顔で「大丈夫だからね」と言いながら振りかけていく。前から後ろからじっくりと粉をかけていき、結局メイクの中でこの作業に最も時間を費やした。
撮影もすぐ終わると思ったのに、僕の滑舌が悪いせいか、同じ言葉をもうちょっとゆっくりとか、もうちょっとはっきりなど言われ、何テイクも取り続ける。さらに、その間にメイク担当が画像を見ながら、「ちょっとカメラを止めて」と言いって、何度も黒い粉を追加して頭の地肌にこすりつけていく。それなりに分かっていたけれど、それでも僕が思う以上に客観的かつ物理的に髪が薄いという現実を突きつけられたようで、なんとも言えない切ない気分を味わった。その日の夜、シャワーを浴びると頭から黒いものがたっぷり流れてきて、ゴシゴシ洗いながら、再び切ない気持ちが蘇ってきた。
翌日、僕らと同じように日本からLOG-ONのイベントのために香港に来ていたKさんと会った。Kさんも同じように動画を撮影されたと言ったので、僕は恐る恐る「頭に黒いのかけられませんでした?」と聞くと、「かけられましたよ〜」と答えた。僕より少しだけ歳が若いKさんがそう答えたことに少しほっとしながら、その頭をあらためて眺めた(ちなみにそんなことがあったせいか、そのとき撮影された動画は、早送りで1度観ただけで、その後一切観ていない)。
話は大きく変わって、先週土曜日は、トラベラーズファクトリー中目黒で椿井木工舎のイベントがあった。木工職人の二宮大輔さんが木製のフラッグを使ったガーランド作りを、奥様の美香さんがダーニング教室を開催してくれて、終始和やかな雰囲気のなかで、参加してくれた皆さんが、塗ったり、削ったりするファクトリーらしいイベントになった。
椿井木工舎のコーヒーメジャーは、4年前よりトラベラーズファクトリーで扱わせてもらっている。素朴で温かな木の風合いを活かしながらも、クラシックカーのようなカーブラインで構成された美しい造形が魅力のコーヒーメジャーだ。
今回はイベントということで、二宮さんとゆっくりお話ができたのだけど、その経歴もちょっと変わっていて面白かった。もともと車のモデラーの仕事をしていて、その後、美香さんと出会った後に、その仕事をやめてお二人でバックパッカーとして1年半ほど世界中を旅する。日本に帰国してから、木工の学校に入学し、そこを卒業すると、学校のあった長野県木曽谷で椿井木工舎をはじめる。
木曽谷での生活は、まさに地域と密着した典型的な田舎暮らしで、地域の方の畑仕事を手伝ったり、おばあちゃんたちと一緒にお茶を飲みながら干し柿を作ったり、縫い物をしたりすることが日常的なことなっているそうだ。そういう暮らしの中で、イベントで教室を開催した衣類の穴やほつれを直しながら長く着続けるための修繕方法、ダーニングなどの技術を美香さんが身に付けていき、そのための道具を大輔さんが作る。
今回のイベントでは、参加者の方々に、その技術と道具を伝えながら、同時に、物への向かい方や暮らし方を含めて伝えていこうとする姿がとても印象的だった。自然の中で木や土に触れながら、昔から受け継がれた文化や自然を大切に暮らし、日々の生業として粛々とものづくりをしていく。二宮さんのお話を聞きながら、憧れとともに、僕らもいつかそんな暮らしをしてみたいと思った。
きっとそういう暮らしの中では、前髪の垂れ具合とか頭の地肌のテカリ具合とか、そんなことを気にする人もいなくて、自然のままで生きていけそうな気がする。