2022年11月21日

予想ではなく想像を

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外国人旅行客が増えてきたことに伴い、最近トラベラーズファクトリーにも急激に海外からのお客さんが増えてきた。にわかに忙しくなってきた英語が得意なスタッフは、商品説明のフレーズを考えてみんなに共有してくれて、英語が苦手なスタッフは慣れないながらもそれを参考にしながら、身振り手振りと笑顔でコミュニケーションをとってくれている。

「そういえば、コロナがはじまる前はこんな感じだったんだよな」と思いながらも、急にお客さんが増えてしまって、トラベラーズファクトリー京都とステーションの限定トラベラーズノートが欠品するという事態になってしまった。それらを楽しみにしてお越しいただいた方には残念な思いをさせてしまうことになり、大変申し訳ありません。来週の下旬には随時入荷していくと思いますのでもう少々お待ちください。

言い訳がましいのだけど、ご存知のようにトラベラーズノートの革カバーはタイのチェンマイで作っていて、革のなめしからカバーとして組み立ててさらに日本に入ってくるまで、何ヶ月もの期間が必要になる。
 
海外からのお客さんがたくさん来ている今の状況を予想できなかったというのが正直な理由なのですが、少しでも早く仕上がるよう一同がんばっているので、何卒ご理解のほどよろしくお願いします。

海外旅行客が増えてきたといことで、そろそろ成田空港のトラベラーズファクトリーエアポート再開に向けても、準備を始めようとも考えている。3年近くクローズしていた店舗を再開するということで、オープンまで少し時間がかかりそうだけど、海外からやってきた旅人とこれから海外へ向かう旅人が、またあの場所で交差していく姿を想像しながら、準備を進めていきたいと思う。

コロナ禍を体験し、予想もしていなかった事態に襲われたり、予想が裏切られたりすることが続いて、予想ではなく想像することが大切なのかもしれないということをぼんやりながら思うようになった。予想を辞書で調べると、「これから起こることについて考えをめぐらし、前もって予測すること」とある。だけど、想像はもっと幅広く、未来に起こるかどうかは関係なく「頭の中に何か思い描く」ことだ。
 
未来を予想しながらどう対応するのか考えるよりも、さまざまなパターンを想像して、それぞれの状況で臨機応変に対応していくという方がいいと考えるようになった。予想より想像することが大事なのだ。

旅はまさにそうで、旅に行くときには、きっと誰もがその旅でのことを想像すると思う。路地裏の風景、現地カフェでコーヒーを飲む時間、名物の味、旅先での出会いに、もしかしたらちょっとしたトラブルまでも想像しながら旅先へ向かう。

そして旅先では実際に想像通りの風景に出会うこともあるだろうけど、当然想像していかなったこともまた、たくさん起こる。そういうものだ。想像が予想であれば、旅は単なる予想の確認作業にすぎないけど、想像とリアルを繰り返すことで旅を何度も楽しめる。

最近『スローターハウス5』という映画を観たのも、そんなことを思ったきっかけのひとつとなった。カート・ヴォネガットの小説が原作の、古いSF映画で、小説はずっと昔に読んでいたのに内容をすっかり忘れていた(そもそも理解できていたのも怪しい)。ざっくりとストーリーを要約するとこんな感じ。(ネタバレになるのでご注意を)

検眼技師を目指す主人公ビリーは、たいした訓練も受けないまま米兵として、第二次大戦のヨーロッパに出兵すると、ドイツ兵に捕えられ捕虜になる。そしてドイツのドレスデンにある食肉処理場として使われていた建物に収容される(スローターハウスは英語で食肉処理場/屠殺場を意味する)。
 
そこでアメリカ・イギリス連合軍の大爆撃を受けて、自身は助かったが、焼け野原と多数の死者を見ることで心に傷を負う(著者自身も同じ体験をしている)。その後、ビリーはアメリカに復員すると、器量は良くないけど裕福な家庭の女性と結婚し、義父の支援もあり検眼技師として豊かな生活を送る。だけど、義父と一緒に乗った飛行機が墜落し、ビリーだけが生き残ったり、奥さんが車の事故で死んでしまったりしながら、波瀾万丈の人生が進む。
 
そんなある日、地球外生物のトラルファマドール星人に捕えられ、彼らの星の動物園の檻に入れられる。その後、彼が憧れていたポルノ映画の女優も連れて来られ一緒に檻に入ると、そこで愛し合い、子供を産んだりして穏やかな日々を送る。一方、別の次元のビリーは演説中に撃たれて死ぬ。

実にヘンテコで分かりにくいストーリーだ。物語では、トラルファマドール星人は、時間という概念を超越した4次元の存在として描かれ、その影響でビリーも時間の概念がなくなり、過去と未来を行った来たりできるようになっている。
 
そのため映画でも、ドイツでの戦場のシーンの間にアメリカで奥さんと暮らすシーンや、飛行機事故のシーンなどが差し込まれ、時系列が入り乱れるので、1回観ただけでストーリーを把握するのは難しい。そこで映画を観終わった後に、小説を読んで、そして再び映画を観ることでやっと不思議で奇妙な物語とそのメッセージがぼんやりと理解できた。

その根底にあるのは、ヴォネガット自身が体験したドレスデン爆撃(死者の規模は広島の原爆に匹敵すると言われ、当初、米政府はそのことを隠していた)での大きな喪失感だと思うのだけど、主人公ビリーは、一度読んで全部内容を知っている小説を適当に開いて、そのページを読むように、「そういうものだ」と淡々と人生を受け入れていく。

物語の解釈に正解はないのだろうけど、もしかしたらトラルファマドール星での生活は(アメリカでの裕福な暮らしさえも)、戦場での絶望の中で頭に浮かべた想像の世界なのかもしれないとも思えてくる。だけどそれで彼が救われるのであれば、彼が想像する世界は、彼にとっての現実のひとつでもいいのではないか、とも思えてくる。

僕らはいつも想像の中でも旅をしているけれど、後で振り返ったときには、想像の旅も実際の旅もどちらも自分たちにとっては、違いがない同じ旅なのかもしれないと、映画を観ながら思った。

最後に小説版の『スローターハウス5』の言葉を引用したい。もともとキリスト教神学者の言葉らしいのだけど、トラルファマドール星で一緒に暮らすポルノ女優の胸の谷間から見えるペンダントに刻まれた言葉としてなぜかラフなタッチの挿絵の中で紹介されている(やっぱり変)。

神よ願わくばわたしに変えることのできない物事を受けいれる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ

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