2023年1月10日

コーヒーいろいろ

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 新年の恒例行事、トラベラーズファクトリー各店での新春イベントも無事終わりました。今年もたくさんの方々にお越しいただきありがとうございました。

 中目黒の新春イベントでは、3年ぶりに2階で振る舞いコーヒーを行うこともできて、コーヒーを飲むお客さんとお話をしたりして、久しぶりに新春イベントらしい賑やかで楽しい時間を過ごすことができました。やっぱり淹れたてのおいしいコーヒーがあるだけで、みんな表情が穏やかになって、平和な空気に包まれてくるような気がします。

 いつもみんなで新春イベントを迎え、それが終わると、やっと新年を迎えたな、としみじみと思うのですが、そんな気持ちになれたのもそういえば久しぶりだな。

 1月のファクトリーはコーヒー月間ということで、イベントの途中に、いつもは扱っていないアアルトコーヒーのマンデリンとアルヴァーブレンドに、かもがわカフェのハウスブレンドの3種類のコーヒー豆を買った。早速、イベントの翌日に深煎りの豆をたっぷり使って濃いめにコーヒーを淹れて、さらにミルクと砂糖を入れて、疲れた体を癒すようにゆっくり味わいながら飲んだ。おいしいコーヒーがあるっていいな。

 もともと父親が好きだったこともあって、僕が小さい頃から、母親は家族にドリップでコーヒーを淹れてくれていた。だから僕も小学生の高学年くらいになると、毎日のようにコーヒーを飲んでいたし、学校から帰ると、サーバーに残っていたコーヒーを自分で温め直して飲んでいた。だけど、ガスコンロで沸騰するまで温め直したコーヒーは、いやな酸味が強まりおいしくない。それでも特に寒い季節になると、温かいコーヒーを飲みたいから、小学生のくせにおいしくないけどと妥協しながら、そういうものだと思って飲んでいた。

 営業の仕事をしていたときに出張で泊まるビジネスホテルの朝食バイキングで飲むコーヒーにも似た味がしたものがあったのを覚えている。サーバーに入った状態で、ヒーターの上に置かれて長時間保温されたコーヒーは、すっかり煮詰まり、おいしくなかった。それでもやっぱりそういうものだと思いながら、必ずおかわりをして2杯飲んでいた。

 まるで質を気にせずに覚醒作用だけを求める麻薬中毒患者みたいだけど、もちろんおいしいに越したことはない。それでもコーヒーを飲むことは特別なことではなく僕にとって毎日の習慣みたいなものでもあったので、特別なものでなくても、ただコーヒーであるということだけで、十分価値があった。

 車で外回りをしていたときは、1日に何本も缶コーヒーを飲んていた。運転席のドリンクホルダーには、まる常設の展示品みたいに缶コーヒーが収まっていたし、雪が降る寒い冬にやっと辿り着いたサービスエリアで自動販売機から落ちてきた缶を、かじかんだ手を温めるように両手で握って、湯気がでるのを少しずつ口にしたコーヒーは、淹れたてのコーヒーとは違ったおいしさがあったような気がする。

 20年か30年前くらいまでは、東南アジアで飲むことができたコーヒーは絶望的だった。香港のローカル喫茶店、茶餐廳で頼んだコーヒーは、インスタントコーヒーに最初からミルクとたっぷりの砂糖を入れてさらにそれを煮詰めたような味で、これはさすがにまた飲もうとは思わなかった。タイでも似たようなものしかなくて、結局コーヒーを諦めざるを得ず、紅茶などのローカルな飲んだ。

 だけど毎日飲み続けるうちに、だんだんその飲み物に親しみを感じるようになって、それはそれでよかったような気もする。もちろん高級ホテルとか、しかるべき場所に行き、それなりのお金を払えばちゃんとしたコーヒーが飲めないわけじゃなかったのだろうけど、少なくとも当時の自分の行動圏内にはなかった。

 たぶん15年くらい前だったと思うけど、チェンマイで初めてスターバックスを見つけたときには、ここで普通のコーヒーが飲めるということに感動したのを覚えている。

 タイでも香港でも、スターバックスを皮切りに、コーヒーがどんどん浸透していき、最近では、地元のロースターが焙煎するこだわりのコーヒーを提供してくれる、なんていうカフェまで増えて、どこの国でも都市部であればたいていそれなりにおいしいコーヒーを飲むことができる。日本でもビジネスホテルのバイキングだって、一杯ずつ豆を挽いて淹れてくれるコーヒーマシンを設置していることも多くて、まあまあおいしい。

 コーヒーは、その味もさることながら、その場の雰囲気や誰とどんなシチュエーションで飲むかによって、味わいも変わってくる。
 例えば、南の方を旅していて、朝食をとった後に優しい風が流れてくるテラス席で、地元の人たちが街を行き交う姿を眺めながらコーヒーを飲めば、何ものにも代え難い幸せな気分になれる。そんな最高のシチュエーションじゃなくても、気の合う仲間と一緒だったり、お気に入りの音楽が流れてきたりすれば、コーヒーの時間は充実する。

 最高においしいコーヒー、まあまあのコーヒー、何の感慨もないコーヒー、妥協しながら飲むコーヒー......。感じ方は人それぞれだし、その日の気分や環境でコーヒーの味わいだって変わるわけだし、いつも完璧じゃなくたっていい。いろいろなコーヒーがほどよいバランスであればそれでいいと思う。コーヒーはまるで僕らの毎日みたいだな。

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