2023年4月10日

桜が散るころ

 桜が満開の頃は寒さが一度戻り、散るとまた暖かくなる。そんな例年と同じパターンを今年も繰り返しているようで、桜が散り始めると自転車の通勤が気持ちいい季節になった。

 朝、日本橋を抜けて、皇居前の広々とした景色を走るのが気持ちいい。昨年は人もまばらだったこの辺りにも、海外からの環境客をたくさん見かけるようになった。皇居から日比谷公園を抜けて六本木通りに出ると、六本木までは急な坂道が続く。僕は無理をせず、自転車を降りてゆっくり押しながら歩いて坂道を登る。

 朝の六本木では、ばっちり化粧と服装をキメている、仕事終わりの女性が帰宅のためのタクシー待ちをしていたり、ベンチャー企業のオーナー社長といった感じの風貌の男がタクシーに乗るのを、2、3人の関係者らしき人がしっかり45度のお辞儀をしながら見送ったりしていて、いかにも六本木らしい風景を見ることができる。そういえば、最近党名を変えたちょっと変わった名前の政党の元党首が犬を連れて散歩をしているのを見たこともあった。

 坂を登り切ったところにある六本木の中心にある交差点には、いくつかの広告ボードが飾られている。コロナ前まではホストクラブのナンバーワンだという男の写真がデカデカと飾られていた一番大きな広告ボードが、コロナ禍がはじまってしばらく空白だった。だけど、やっと広告先が埋まったようで、『バーキン買うなら豊胸しろ』という本の表紙が、美容整形外科の医学博士の著者の写真とともに印刷された広告になっているのを見つけた。なんだかみんな欲望に忠実で、やけに自信に満ち溢れているようにも見える。だけど、朝の六本木では、そんなことは関係ないといった感じで、普通に仕事に向かう人もたくさん歩いている。

 うっすらと汗をかきながら自転車に乗っていると、そんな風景も旅人のように一歩引いて見ることができる。広告にある嫌悪感を抱かせるような扇情的なタイトルも、まるで自分が生きている世界とはどこか別の世界の出来事みたいに思えてしまう。この世界にはさまざまな立場の人たちがさまざまな価値観を持って生きている。そういうものだ。

 さて、六本木ヒルズを曲がるとそこから先は下り坂が続く。有栖川宮公園の横を一気に下り、広尾に出れば会社のある恵比寿まではすぐだ。

 自転車での帰りは寄り道が楽しい。リュックの中にはタオルを1本常備しているし、ふらり入れる行きつけの銭湯がいくつかある。場所が家寄りだったり、会社寄りだったり、サウナがあったり、なかったり、混み具合だったり、価格だったり、それぞれ特徴があるので、そのときの時間や天気、気分で立ち寄る場所を決める。特にこの季節は風呂上がりの自転車がすこぶる気持ちいい。寒いと湯冷めをしちゃうし、暑いとすぐに汗でびっしょりになってしまう。暑からず、寒くもない中でお風呂上がりのポカポカの体で自転車を漕ぐのは、至福のひとときだ。

 いつもより少し早めに会社を出たこの日は、ふと気になっていた映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を思い出し、携帯で調べてみた。すると途中の映画館でちょうど良い時間でやっている。さらに水曜日は1200円で観ることができるらしい。すぐにそのまま携帯から席を予約し、自転車を漕ぐ足を早めた。8時過ぎの上映時間にぴったりの時間に映画館に着くと、急いでコーヒーを買って席に座った。

 いやあー、おもしろい。ストーリー設定が奇想天外でめちゃくちゃで、下品なシーンもいっぱいあるんだけど、心が温まって元気になって、最後にはジーンと感動もして、映画の魅力がいっぱい詰まった素敵な映画だった。

 この映画は、自分たちが今生きているこの宇宙以外にも、同時に別の宇宙が存在して別の自分がそこで生きているマルチバースという概念がストーリーのベースになっている。ぱっとしない旦那と夫婦で洗濯屋をやっているミシェル・ヨー演じる主人公は、別の宇宙ではカンフー女優だったり、さらに別の宇宙ではレストランのスーパーシェフだったりして、それらの宇宙を行き来きするようにストーリーが進んでいく。悪党から宇宙を守るという使命を与えられた主人公は、別宇宙の自分の能力を使いながら、ひたすら強い悪党と戦っていく…。この映画を観たことがなくて、興味もない人にとっては、なんのこっちゃ?という感じですよね。

 そんな奇想天外な設定をギャグやアクションを絡めながら進む展開はめちゃくちゃなんだけど、例えばあのとき、ああしていれば女優になれたのに、みたいにそのときを選択を後悔するのではなく、いろいろ問題はあるけれど、自分が選んだことを自分の人生を受け入れて、自分が生きるこの宇宙の存在を愛していくというポジティブな展開が素晴らしい。カート・ヴォネガットの小説を読んだような、不思議だけど、温かな気持ちになった。「Be kind」優しくならないと。

 映画館を出ると、Spotifyを立ち上げて、この映画のサントラを聴きながら自転車を漕いだ(こういうときは、Spotifyはやっぱり便利です)。映画ではエンドロールで流れた「This is A life」がなんだかとても身に染みる。「これが人生だ。すべての可能性の中から自分たちが選んだ人生なんだ」、温かい気分に包まれながら夜の東京を走った。

 桜が散り始めて暖かい日が続くこの季節は、ここ数年、トラベラーズノートの新商品発売の季節でもあります。そんなわけで、いよいよ今週、4月13日にトラベラーズノート オリーブをはじめ、リフィル ジャバラ、シール台紙が発売になります。

 発売前のこの時期は、あたらしいノートをどんな風に使うのか考えるのが楽しい。僕は、パスポートサイズのオリーブを観た映画や読んだ本、ふと思ったことなどを書くためにいつもポケットに入れておくノートとして使おうと思っています。ブラスペンシルをざっくりカバーに留めて、リフィルは1冊しか入れないで、あえてチャームも付けないでペタンコになった状態がいい。いつもポケットに入れておくと、きっとすぐボロボロになってしまうんだろうけど、そんな感じがオリーブは似合うんじゃないかと思っています。みなさんそれぞれのノートの使い方を見つけてもらったら嬉しいです。

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