富山の夜
自転車旅の最終日、富山の夜。
たまたまその前日に富山を訪れていた石井さんからすすめられた寿司屋でお腹を満たし、すこし酔っ払いながら街を歩いてホテルまで向かっていた。だけど、なんとなくそのまま部屋に戻る気にならず、夜の歩く人もまばらな繁華街でスターバックスを見つけると、コーヒーでも飲んでいくことにした。
コーヒーをオーダーすると、「フードロス削減で20%オフになっていますので、ぜひ」という声に誘われて、ついケーキまで頼んでしまう(旅先ではいつもそんな感じなので、自転車でけっこう体力を使っている割には、旅が終わる頃には体重は増えている)。
夜の9時を過ぎたスターバックスの店内は閑散としていた。向かい合わせに座っているのにそれぞれスマホをいじっているカップルが一組に、仕事か勉強をしている若い男性、そして、ひとりで四人用のテーブルを独占して、広げた新聞をルーペで読んでいる地元の人らしきお爺さんしかはいない。人の話し声もほとんどない中で、BGMが少し大きめの音で流れている。BGMがビーチ・ボーイズの「California Girls」からエイミー・ワインハウスの「Valerie」に変わった。どちらも曲調は明るいのだけど、どこかに哀しみを感じさせる曲だ。店内を見回すと、みんな周りを気にすることなく、静かにそれぞれの世界に浸っている。
そんな夜のカフェの情景が、エドワード・ホッパーの絵のような旅の孤独を感じさせて、僕は少し感傷的な気分になった。だけど、そんな気分は決して嫌いではない。むしろ、旅にいる喜びみたいなものが胸の奥からふつふつと湧き上がってきた。
自転車の旅も何日か続けるうちに、初日には感じた足の痛みもおさまり、体が自転車で走ることにも慣れて旅仕様になってきた。朝、安宿を出て日本海を右手に走り続け、また安宿に泊まる。相変わらず暑い日が続いたけれど、日課のようにそういった行為を続けるごとに走行距離が増えて、確実に前に進んでいるが心地よい。そうやって淡々と走り続けていくと、一見単調な風景の中にも、美しく朽ち果てた建物を見つけたり、車も走らない裏道のトンネルの冷えた空気を感じたり、美しく染まる夕焼けを見たり、そんなことに喜ぶ。僕はもう少しこの旅を続けていたかった。
この旅で、日本海の小さな町を巡って自転車を走りながら、僕はスティーブン・ショアの写真集『Uncommon Places』を思い出していた。『Uncommon Places』は、ショアが1970年代にアメリカのスモールタウンを車で旅して集めた風景の写真集だ。ページをめくるごとに現れる、ロードサイドの色褪せたサインボード、ダイナーの素朴なパンケーキ、質素なモーテルの外観や部屋の風景は、行ったこともない遠いアメリカの風景なのに懐かしく、地に足がついたリアリティを感じさせてくれる。そういえば、日本人にとってのモーテルは安旅館だし、ダイナーのパンケーキは、安旅館で食べるご飯と味噌汁に納豆とか卵をそえたシンプルな朝食みたいなものだ。日本海から吹きつける風雨にさらせた廃屋に、テトラポットがたくさん置かれた海岸に沈む夕日もきっと日本人にとっての『Uncommon Places』であり、原風景だと思えた。
そんな風景と出会うことが多いのも、自転車旅の楽しみのひとつでもある。そういえば、広大な面積を持つアメリカを車で旅をする感覚を味わうには、日本では自転車がちょうどよいのかもしれない。
スターバックスでは、さっきまでルーペで新聞を読んでいたおじいさんが、テーブルに新聞を置いたままソファに移って、三人がけのソファの真ん中に腰を落とすと、両手を広げて、「ぐぁー」と小さなうなり声を発した。そんな自由な姿に思わず僕は笑顔になった。
この日は、富山市からそれほど遠くない魚津駅近くのビジネスホテルを出ると、お昼前には富山に着いた。まずは富山ブラックラーメンでお腹を満たし、ホテルに荷物を預けると、自転車で街を散策した。
普段は行かないくせに、自転車旅ではその町の美術館をよく訪れる。富山県美術館では、ちょうど直島の銭湯「I♥湯」を手掛けた大竹伸朗の特別展が開催中とのことで、まずはそこに行く。膨大なスクラップ作品に、妖しい小屋や楽器演奏装置など、自由で不思議な作品群に多いに刺激を受けた。ガラス美術館と県立図書館を併設した建物へ。ここもすばらしい。繁華街の真ん中にこんな図書館があるのは素敵だと思った。その後、サウナ施設スパ・アルプスでゆっくり休んで、夕食に前述のお寿司屋さんに行った。
「そろそろ閉店の時間になります」
店員がそう声をかけてきた。僕はトレイを戻して、スターバックスを出た。ほとんど人がいない富山の夜の繁華街をホテルに向かって歩いた。明日は新幹線で東京に戻る。僕は旅がもっと続けばいいのにと思った。