2023年10月30日

フィンランド、湖畔のコテージ

 フィンランド第二の都市、タンペレ市街から北に向かって車を走らせる。目的地までは約60キロ、1時間ほどのドライブ。市街を抜けると、風景はすぐに湖が点在する針葉樹の森に変わる。最初は戸惑った左ハンドル・右側通行も、対向車も少ないまっすぐの道ではすぐに気にならなくなる。

 途中、スーパーマーケットに立ち寄り、食料にビールなどの飲み物を買う。しばらく車を走らせ、街道から細い道へと曲がるとき、ついいつものクセで左側の車線に車を入れてしまう。「右ですよ」という同乗者の言葉で、慌てて右車線に車を寄せる。街道を外れると、酪農か林業をやっているのか家がぽつりぽつりと見える。冬は雪深く人も少ないこの土地での暮らしは、どんな生活なんだろうと想像する。

 湖の面したT字路を曲がり、未舗装の道を進むと、やっと木々の間からコテージが見えてくる。ああ、帰ってきたなと思いながら、コテージの前に車を止めて中に入る。旅先でたった二泊でも連泊すると、まるで自分の家のように帰ってきたような感覚が味わえるのが嬉しい。

 「森の中の湖に面した場所のコテージなんですよ。キッチンはもちろん、サウナも付いていて、バーベキューもできて、夜は焚き火もできるんです。ひとりだと厳しいけど、二人で割ればそんな高い値段じゃなくて泊まれるんです」

 サウナ好きの友人のそんな言葉に誘われて、フィンランド旅の途中で、そのコテージに一緒に泊まることになった。コテージは想像以上に素晴らしく、僕にとって、この旅のひとつのハイライトとなるような体験だった。

 コテージに着くと、僕はスーパーで買ったものを冷蔵庫に入れて夕食を作る。友人はサウナのストーブに薪を入れて火を付ける。夕食を作るといっても、買ってきたソーセージやチキンに、カットしたパプリカを塩と胡椒を振ってフライパンで焼くだけ。いい感じに焼き色がついたタイミングで、友人はサウナの熱が上がってきたと言いながら戻ってくる。僕が焼いたものを皿に添えている間に、友人はルッコラにチーズを添えてオリーブオイルと塩をかけた簡単なサラダを作る。それにパンを焼いてテーブルに並べると、立派なディナーができあがった。早速、ビールをグラスに注ぐと乾杯をして、食事をはじめた。

 物価の高いフィンランドでは、外で思いっきり食事をしたり、お酒を飲むには躊躇してしまうけど、ここでは気にせず飲み食いできる。コテージの広くて快適なリビングルームは、北欧の豊かな住まいでの暮らしを感じさせ、僕らの心も贅沢に満たされていく。食事が終わり、しばらくのんびりしてから、今度はサウナに入る。

 備え付けのサウナなのに、銭湯にあるサウナよりも広くて、薪のストーブからほのかに漂う煙の香りも味わい深い。ストーブにぎっしり積まれた石に水をかけてロウリュをすると、体感温度は一気に上がった。「ああ、いいねえ」と思わず呟きながら、蒸気と汗で体がじわじわ濡れてくるのを感じながら、何度もロウリュをする。

 体が熱くなると外に出て、コテージの前にある湖まで裸のまま小走りで行く。気温は3、4度。湖面に突き出る桟橋から足を水に入るとやっぱり冷たい。でも、エイッとそのまま湖の中に入り、一気に頭まで潜る。そして、すぐに湖から上がると、デッキに置かれたリクラインイングチェアに身を沈めるように座る。

 空を見上げると満天の星。視界には他の人の気配はいっさいない。ただ、静かな森から漂う緑の匂いに身を浸し、湖から聞こえる優しくささやくような波の音に耳を傾ける。体から放たれている蒸気とともに、心の中に澱のようにたまっていたストレスや悩みごともぜんぶ放たれていき、広大な森の木々が吸い取ってくれるような気がする。もうこれで十分、他にはなにもいらない。そんな幸福感に満たされながらボーッとしていると、突然、木立の中からガサガサと音がした。誰かいるのかな?とビクッとして振り返るとリスの目が光るのが見えた。

 最初は気持ちよかった湖畔の冷気も、しばらくいると寒く感じる。ぶるっとした震えを感じると、再びサウナに戻り、そして、また湖畔に行く。それを何度か繰り返した。

 サウナと森林浴を存分に楽しんだけれど、眠るまでにはもう少し時間がある。そこで薪を焚き火台に入れて火を付け、しばらく焚き火を楽しんだ。誰もいない森の中で、男二人、ゆらゆら揺れる炎を眺めながら話をする。いにしえの旅人たちは、道なき道を流浪するように移動しながら、こうやって夜を過ごしていたのかもしれないな。そんなことを思った。

 コテージは、朝も心地よい。ゆっくり空が明るくなっていく頃に目を覚ますと、まずはサウナの薪に火を付けると、余ったソーセージを焼いて、オムレツを作り、さらにスモークサーモンにチーズを添えて、豪華な朝食をとった。そして、明るい窓から見える美しい湖畔の風景の眺めながら、ゆっくりコーヒーを飲んで、サウナが熱くなるのを待った。

 朝の明るい時間には、サウナの窓からも森の景色が楽しめる。でも、何度もロウリュをするうちに、窓は曇って見えなくなった。朝の湖は、夜とはまた違った美しさを楽しめる。相変わらず冷たい水に頭まで入って一気に体を冷やすと、桟橋のシートに身を投げて、美しい風景の中に身をさらす。太陽の光がキラキラを反射する湖面に渡り鳥が降りてくる。気温は決して高くはないのだけど、太陽があたる分だけ体が温められて、夜よりも長い間外気浴が楽しめる。ボーッと湖を眺めていると、東京での忙しい時間は、夢の中のことだったような気がしてきた(今は逆にコテージでの時間が夢の中のことみたいだけど)。

 さて、このコテージともいよいよお別れということで、サウナから上がると、未練いっぱいで部屋を片付け、荷物をまとめて車に積む。この後はタンペレに戻り、レンタカーを返却して、一度二人でヘルシンキまで戻って、その後、僕は夜行列車でロヴァニエミへ向かい、友人はヘルシンキからバルト三国を巡る旅を続ける。

 車に乗って、さて、どこへ行こうかと言うと、サウナ好きの友人は「タンペレの街中にスモークサウナがあるので、そこに寄ってから電車に乗りましょう」と言った。そういえば、彼と一緒のときは、何を食べるかはいきあたりばったりで適当に決めていたけれど、サウナはどの日にどこに行くのか、きっちり予定が組まれていた。もちろん僕もサウナは大好きだし、フィンランドのサウナはそれぞれ個性的で、そこならではの良さがあるから何の異論もない。次のサウナを目指して車のアクセルを踏んだ。

 電車のぎりぎりの時間までサウナを楽しむと、昼食用にハンバーガーをテイクアウトで買って、電車の中で食べながらヘルシンキに向かった。夕方ヘルシンキに着くと、夜行列車までまだ2時間ほど時間があった。すると、当然のように友人は、「最後に、ヘルシンキでサウナに入ってから別れましょう」と言った。「いいねえ」と僕も当然のように答えた。

 知りたい人がいるかどうかは甚だ疑問だけど、そんなフィンランドで入ったサウナの数々は、追々こちらで紹介したいと思います。