2023年11月 6日

ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!

 ローリングストーンズの新譜の発表に続き、ビートルズの新曲がリリースという、今は60年代かよとツッコミを入れたくなるようなニュースが入ってきた。ストーンズは、ミック・ジャガーが80歳で、キース・リチャーズは79歳。ビートルズに至っては…ということで、気になってどちらもリリース直後にSpotifyで聴いてみた(便利な時代です)。ストーンズの方は、あの年齢なのに全盛期と変わらない声とギターで、相変わらずのご機嫌なロックンロールを奏でているのは確かにすごい。ストーンズの新作としても申し分ないクオリティーなんだけど、60年代にリリースされたアルバムみたいに、これから何度も長く聴き続けることはないんだろうとも思った。むしろ、老いてすっかり枯れ切ったストーンズこそ聴いてみたいと思うのは、わがままだろうか。

 ビートルズの方も良い曲なんだけど、これがビートルズの新曲だと言われても、どこかピンと来ない。ノイズが混ざったジョン・レノンの未発表デモテープからAIの技術で声だけを抜き取り、それにポール・マッカートニーとリンゴ・スターによる演奏を加えて(生前に録音したジョージ・ハリソンのギターも入っているみたい)、新曲としてリリースしたとのことなんだけど、デジタル技術が進歩すると音楽の作り方にもいろいろな形が生まれるんだな、というのが最初に思った感想だった。ビートルズの新曲を聴きながら、僕はふと、デジタルという言葉すら知らなかった40年以上前に、レコードから録音したカセットテープで何度も繰り返しビートルズを聴いていた頃のことを思い出した。

「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! って聴いたことある?」

 中学生になったばかりの僕は、お互いビートルズが好きという共通点で仲良くなった友だちのOくんに尋ねた。そのタイトルはよく見聞きするのに、聴いたことがなかった曲を、Oくんなら知っているかもしれないと思ったのだ。すると、Oくんは「ああ、知っているよ」と答え、さらに「ヤァ、ヤァ、ヤアァ」と節をとって口ずさんだ。

 その後しばらくして、「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」は、すでに何度も聴いていた「A Hard Days Night」の邦題であることを知ることになるのだけど(ヤァ、ヤァ、ヤアァなんてフレーズは出てこない)、そのときは、その邦題があまりにも原題の意味とかけ離れていたせいで同じ曲だと気づいていなかったのだ(当時もラジオでDJが曲名を言う時は、ほとんど原題で言っていたと思う)。

 僕は「ヤァ、ヤァ、ヤアァ」と歌うOくんの嘘を見破ることができず、あいまいに頷いた。今思えば、きっとOくんはビートルズに詳しいと自負していた手前、知らないと言うことができずに、その場の思いつきで答えたのだ。そして、僕もそんなことも知らないの?と思われるのを恐れて適当に話をあわせてしまった。中学生の頃はそんなことはよくあった気がする。

 まだインターネットはなかった時代だ。今だったらグーグルで調べれば、動画としてアップされた音源付きで正しいタイトルが判明するし、そのタイトルが付けられた理由だって簡単に知ることができる(水野晴郎が付けたんですね)。それはそれで便利で素晴らしいことだとは思うけど、あの頃みたいに適当な嘘で保っていた中学生の面目やプライドは、今はきっとあっさり潰されてしまうんだろうな。

 Oくんと僕は、ビートルズ以外にもお互い絵を描くことが好きという共通点があったので、彼の家に遊びに行くと、よくビートルズを聴きながら、一緒に漫画を描いたりして過ごていた。母子家庭の一人っ子だったOくんの家にはいつも誰もいなかったから、周りを気にせずにやりたいことができた。

「将来は絵を描くような仕事がしたいよね」

 僕らは絵を描くのが好きで、同時に得意だと思っていた。だから、それなりにがんばれば、いつかそうなれるとも思っていた。あの頃の僕らは、風が吹けば簡単に消えてしまうマッチの火みたいな淡い根拠で、無邪気に夢を語ることができた。未来は前途洋々で、希望に溢れている。そんな年頃だった。

 その後、Oくんは中学を卒業する前に、母親の事情で引っ越しをして、転校することになった。それからはOくんと会うこともなくなってしまった。僕は、彼と会わなくなることで、日常的に絵を描くということからも少しずつ遠ざかっていった。そして、絵とは関係のない大学を卒業し、今の会社に就職をした。

 会社に入ってまだ間もない頃。知り合ったばかりの同期の人たちと新宿で飲み会をしていた。最初の店を出て、2次会の場所までの移動中に、偶然ばったりOくんと会った。お互いに気づくと名前を呼び合って確認し、「久しぶりだなあ」と僕は言った。すると彼は「絵の学校に行っていて、その仲間と一緒なんだよ」と答えた。そして、「今でも絵をがんばっているんだ」とどこか恥ずかしそうに、でも少し誇らしげに言葉を加えた。本当はゆっくり話をしたかったけど、「僕も会社の仲間と一緒なんだ。だから行かないと」と言うと、連絡先を交換することもなくあっさりと別れてしまった(あの頃はLINEはもちろん、メールも携帯電話もなかった)。絵を続けているOくんに対して、それとは関係のない仕事に就職を決めた自分にどこか負い目を感じたのかもしれない。あれから約30年。Oくんとは会っていないし、今、どこで何をしているかも知らない。

 その後、僕はちゃんと絵の勉強をしたことはないけれど、トラベラーズノートをきっかけに、再び絵を描くことをはじめた。最近は、僕の絵がトラベラーズタイムズやごく稀に商品に使われたりして、多くの人の目に触れる機会をいただいている。これはもちろん、僕の絵のクオリティが優れているからではなくて、こんな絵だっていいんじゃないかな、というトラベラーズノートのメッセージがあるから使えるわけで、まあ正直に言えば役得のようなものだと思っている。

 それでも、中学生の頃にOくんと「将来は絵を描くような仕事をしたい」と語り合ったことを思うと、たどった道は定石ではないし、偶然の成り行きでそうなったようなところもあるし、仕事というにはその割合はごく僅かかもしれないけれど、あの頃の夢を叶えることができたと言えるのかもしれない。それが目指すべきゴールだったかと言われると、決してそうとも言えないし、これって夢が叶っているってことなのかな……くらいの感じで気づくような、曖昧でぼんやりした感覚だ。優勝したとか、賞をとったとか、劇的な瞬間とともに叶う夢もあるだろうけど、後からふと気づくくらいの、ささやかで分かりづらい夢の叶い方もある。

 ここまで書いて、ふと気になってOくんのフルネームをグーグルで検索してみた。だけど、出てきたのは年齢が違う何人かの同姓同名の人だけで、Oくんらしき人を見つけることができなかった。さすがのグーグルも、今のOくんのことは教えてくれなかった。夢の叶い方もいろいろだから、それが夢を叶えていないということを意味するわけではないし、今でも夢を追いかけていたら、それこそ素敵なことだと思う。この歳になると、自分の限界も分かってくるし、ひとつの夢がもうひとつの夢を潰すことなることがあるのを知ったりして、中学生のころと違って夢を追いかけることがそんなに単純ではないことも知った。ときには叶わない夢をごまかしながらやり過ごすこともあるけど、とにかくお互い自分に正直に生きていたいよね。

 久しぶりに「A Hard Days Night(ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!)」を聴いてみた。あの頃、この曲のイントロのコードストローク一発で、もう胸が高鳴ってなんでもできそうな気分になれたんだよな。僕がローリングストーンズやビートルズの古いアルバムを聴く理由のひとつに、あの頃の奮い立つような気持ちを思い出したいということもあるのかもしれない。そんなことを思った。